野球エリート街道から外れた岸潤一郎 新たな仲間と過ごした2年間の独立リーグ生活で得たものとは
朝まで飲み会感覚で続いた「素振り会」
「岸くんも大学中退から支配下指名はさすが! たしか1年目は投手登録だった気が。駒田さん(高知・駒田徳広監督/元・巨人ほか)も『俺がスカウトだったら絶対指名させる』と言ってたもんな。この選手は実績とか関係なく良く声が出ていた。歳関係なく味方を鼓舞することが出来る選手。こういう選手がいるからインディゴは強いね」
いま、5年前を振り返れば、自分を作り直すために必要な2年間だったのだな、ということがよく分かる。エリートコースを走っていた自分が、その道から外れた。それまでの自分は、実は打たれ弱かったと思う。結果が出なければ「もういいや」とすぐ諦め、放り出してしまうところがあった。
「でもねえ。あの環境で2年間やって、NPBにまで入れたら、『あの環境でやってたんやから意地でも1軍に残らな!』とか思うようになりましたよ。なんか気持ちの部分で、ハングリーさが生まれたというか」
いらないプライドを捨てられるようになった。泥臭く「何がなんでも1軍に残るんだ!」とガムシャラになれるようになったのは、あの2年間のおかげなのかなと思う。
徳島で得たものは「死に物狂い感」だと言う。なんとしても! という必死さが、西武の岸となったいま、様々な部分で生かされている。あれを越えて来てんねんぞ、俺は―。
「大袈裟に言うたら、そんな感じですね(笑)」
スケジュールのタイトさ、経済的な厳しさ。野球以外でもキツいことは少なくなかった。だが、やはり最もキツかったなと思い出すのは、慣れない遊撃手のポジションで周りに迷惑をかけてしまっていたことだ。
「それこそ本当、慣れてなくて、ショートの動きもできなくて。もちろんエラーもいっぱいして。迷惑かけてるっていうところはしんどかったですけどね。自分で負けた試合ももちろんあるし、エラー何個もした試合もあるし。それでも『後期の最後の最後まで、お前はショートで使うから』って、牧野さん(牧野塁監督、現オリックス投手コーチ)にも球史さんにも言われて。ホントありがたいなと思います」
野球選手として再スタートを切るために、生まれ変わろうとした2年間だった。練習に対する考え方も大きく変わった。キツいものだとしか思ってなかった練習が楽しくなった。
「もういまさらなんぼやったって、うまくなることなんて、そんなにないやろって思ってたんですけど。それこそ最後、グラチャンでショートに9個ぐらい打球飛んできて、1試合ノーエラーで終われたんですけど。なんか1年間やったら形は全然できてないにしても、なんとかアウト取れたり、まだまだ成長できんねや、みたいな」
現役の徳島の選手たちに贈りたいメッセージは? という質問にも実感がこもる。
「なんですかねえ? 長い人生の1、2年ぐらい頑張ろうよっていう。なんかそれ、ちょっと上から過ぎますけど(笑)。死ぬ気でやったらいいことあるよって感じですよね」
橋本コーチとは、いまも連絡を取り合っている。それまで岸の野球人生にはいなかった、自分に真っ正面からぶつかってきてくれたコーチだ。橋本コーチがいなければ、道はつながっていなかったかもしれない。
「独立リーグって、元NPBの人がコーチになるケースって多いと思うんですけど。球史さんは独立で選手としてもやってて、同じ境遇とか理解してくれたうえでコーチをしてくれている。素晴らしいコーチなんじゃないかなと思います」
この2019年、NPBで活躍する四国リーグ出身の野手と言えば、角中勝也(高知→ロッテ)、三輪正義(香川→ヤクルト)亀澤恭平(香川→ソフトバンク→中日)西森将司(香川→DeNA)水口大地(長崎→香川→西武)大木貴将(香川→ロッテ)と、圧倒的に香川から進んだ選手が多かった。しかもこの年を最後に、ほとんどが引退している。
いま以上に「野手のドラフト指名はかなり難しい」と言われていた時代である。岸の支配下指名は、野手として角中、三輪、大原淳也(香川→DeNA→香川)に次いで、4人目の快挙となった。
西武で外野手として活躍を続けるいま、1軍公式戦の出場試合数も294試合を数える(2024年9月10日現在)。
「やっぱり、独立リーグからドラフトで入ってくる人たちが増えてるのもうれしいですし。なんとか僕たちが活躍することによって、独立から選手獲ったら意外とやってくれるんや、みたいな評価になってもらえたら、どんどんその枠も増えていくと思うので」
徳島は岸にとって、しっかり夢を追いかけられた場所、それだけに集中して過ごせた場所である。いい思い出は? と尋ねると、意外な答えが返って来た。
「いや、でも練習いっぱいしたことじゃないですか。筑後でもホテルの前で朝5時まで素振りしてましたからね。球史さんを中心に、僕と隼人と球斗と京太郎、宇佐美で一通りご飯食べて、11時ぐらいから朝の5時まで。しゃべりながら素振りして、みたいな」
京太郎こと友居京太郎は翌2020年、主将を務めたあと引退した。いまは実家のある愛媛に帰り、家業である鉄骨関連の会社・株式会社友居工業を父とともに支えている。
「岸、それ言うてましたか(笑)。飲み会感覚で5時まで素振りしよったみたいな感じなんで。お酒の代わりに振りよった、みたいな感じです」
バスを駐車するための広いスペースで、深夜に5人でバットを振る。黙々と振っていたかと思うと、最年少でありムードメーカーの宇佐美が、バットを置いて無駄口をたたき始める。
「こんな時間に振んよったら、あのキャンプ思い出すわー!」
すぐに「あったあった! そんなこと」と思い出話に花が咲く。しばらくすると、橋本コーチがそれをたしなめる。
「いいから、しゃべってねえで振れよ」
また散らばる。今度はバットを振る度、平間が低い声で「うぇい」と声を出す。その声がすぐに伝播する。
「うぇい」
「うぇい」
「うぇい」
全員が爆笑する。
「シーッ! (怒られるから!)」
友居にとっても懐かしい思い出だ。
「それが始まると、みんなやっぱりおもろいじゃないですか。で、球史さんが『いいからお前ら、離れて振れや』みたいなこと言って、1回散るんスよ。みんな各々振ってて、5分ぐらいマジで黙って振るんスけど、隼人とかが暇になってきて、振りながら『うぇい』とか言うんスよ。振る瞬間に。みんなが『あ、言い出した言い出した』みたいな感じになるけど、『うぇい』ってやったら、球斗とかが隼人に続いて、振る瞬間に『うぇい』とか言うんスよ(笑)」
それは、まさに青春の1ページだった。
書籍紹介
【画像提供:カンゼン】
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