新タイプ野球指導者が作り出す時代の足音 ノーサイン野球は地殻変動の証か
そのキーワードは「人権」だった。人権の世紀と言われる今、どこまでが許され、どこまでが許されないのか高校野球で多くのヒット作を持つ中村計氏が、元球児の弁護士・松坂典洋氏に聞いた。日本人に愛される「高校野球」から日本人が苦手な「人権」を考える知的エンターテインメント。
『高校野球と人権』(著:中村計、松坂典洋)から一部抜粋して公開します。
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「言葉の力」が勝つ時代
その頃も手を上げないどころか、怒鳴りもしないという指導者は少なからずいたんです。でも、相対的に、スパルタ式の指導をしているチームの方が強かった。毎年、甲子園に出てきたチームの監督の顔ぶれを見つつ、この中で、一度も体罰を振るったことのない指導者っているのかなと思っていたくらいです。
松坂 いくら野球の能力は高くても、やり抜く力がなければ結果は出ません。集中力の続かない生徒たちを圧倒的な支配力でコントロールし、それでうまくいった例というのはたくさんあったんでしょうね。あるいは、選手が問題を起こしたときも他人任せにするのではなく、強い言葉をかけたり、ときに暴力を振るって更生させたというケースもあると思うんです。年配の指導者が言うように、高校によっては生徒にナメられないためにもそうせざるを得ないという指導者の気持ちもわかります。
でも、やはり今の社会では難しいでしょうし、何よりもそのやり方では選手に伝わらなくなってきているのだと思います。
中村 スポーツの現場において、やはり言葉は無力なのかなとも思っていたんです。取材中はスマートな指導法の重要性を説いて、すごいなと思っていたら、実際はボールを投げつけたり、ヒステリックに怒鳴りつけている監督もいたりして。口ではカッコつけていても、実際はみんなそうなのかなとも思っていたんです。でも、少しずつ、確実に出てきているんですよね。言葉の力で強くなっているチームが。
この本の編集を担当している本田拓也君が前に勤めていた出版社で、トータルテンボスというお笑いコンビの藤田憲右(けんすけ)さんの『「卒スポ根」で連続日本一! 多賀少年野球クラブに学びてぇ! これが「令和」の学童野球』という本をつくっていて、題材になっている多賀少年野球クラブの監督、辻正人さんの話をよくしていたんです。辻さんはおもしろいですよ、と。
松坂 私も本田さんに薦められて読ませてもらいました。「世界一楽しく、世界一強く」というキャッチフレーズを掲げているんですよね。小学生にノーサインで野球をやらせて、それで何度も日本一になっている。こんな監督がいるのかと驚きました。
中村 つい最近も、大阪の大阪学院大高が春の大阪府大会でノーサインで優勝したという記事が出ていました。しかも、大阪の絶対的二強、大阪桐蔭と履正社に勝って。大阪は高校野球の「首都」ですから。これは大地殻変動が起きていると言ってもいいと思います。
松坂 大阪学院大高の辻盛英一監督はもと伝説の営業パーソンで、現在は会社の経営者なんですよね。指導者はサポーターであり、教育とは答えを教えないことだと語っていて、選手を「権利を持つ主体」として扱っていることがよく伝わってきました。社会人教育をそのまま高校野球に当てはめている気がします。
中村 大阪学院大高は、選手の髪もフサフサでしたね。
松坂 時代の足音がどんどん大きくなってきているのを感じます。
話す内容も、まさに経営者のようでした。彼は今の小学生が社会人になる時代、11年から15年後ぐらいの日本を見据えて野球をしていると言うわけです。その頃、日本の雇用形態は年俸制になっているだろう、と。がんばっただけでは飯を食えない時代になっている。だから、練習の出席率とか、どんだけがんばったかは関係ない。成果がすべてだ、と。それが私の戦い方、社会に近い戦い方だと思うと話していて。こんなスケール感の視野を持って野球を教えている人がいるのだと驚いてしまったんです。
松坂 辻さんの言う通りで、すでにそういう世の中になってきています。今ほど労働者の権利が守られている時代はないと思うんです。経営者からしたら、そうそう解雇はできないし、うまく活用しようにも何かとパワハラだと指摘されてしまう。となると、雇うメリットがほとんどないわけです。働き手を集めるなら、雇用契約ではなく、業務委託にとどめておこうという流れがあります。業務委託なら契約解除の手続きは簡単ですから。
ただ、そのぶん働く方は成果をあげないと継続的に仕事を得ることができません。世の中はまさに「成果がすべて」になりつつありますよ。
中村 辻さんの対談相手である須江さんも、やはり言葉に力のある指導者なんです。甲子園の試合後の囲み取材は、だいたい20分ぐらいあるんです。なので、ほとんどの監督は時間を持て余してしまう。でも須江さんは、どんなに凡庸な質問でも自分の土俵に持ち込んで、自分の考えを表明する場に変えてしまう。とにかく言葉が豊富で、記者を飽きさせない。言葉がうま過ぎて、嫌だなと思わせるぐらいなんです。
僕がいちばん心をつかまれたのは、2022年夏に仙台育英が初優勝を飾り、その日の夜のミーティングで新チームのメンバーを前にして言ったという言葉なんです。「俺は前のチームとは絶対に比較はしない。新しいチームだと思っている。だから、みんなで2度目の初優勝を目指そう」と言ったのだそうです。2度目の初優勝。なんとうまいことを言うのだろうと感心してしまいました。本当にその通りじゃないですか。高校野球は毎年、選手が入れ替わるのに「昨年の優勝校を撃破」みたいな表現を使う。それが、どうにもしっくりこなくて。今年のチームは昨年ほどではないのだから、そこまで騒がなくてもいいのにとか思ってしまうんです。
松坂 辻さんは指導法に対する目が厳しくなってきたから、選手を尊重する野球にシフトしたわけではないんですよね。単純にそちらの方が成果が出やすいから、勝てるから、辿(たど)り付いたスタイルだと思うんです。おそらくは大阪学院大高の辻盛監督や須江さんもそうなのではないでしょうか。
ひと昔前までなら、殴られても、罵声を浴びせられても、俺のためを思ってくれてるんだなと付いてきてくれる選手はいたと思うんです。でも、今そんなことをしたら、怯えさせるだけですから。いいことなど一つもないと思うんです。
中村 慶應の森林監督もタイプは違いますけど、やはり言葉の力が強い。なにせ「自分たちが勝って、高校野球の常識を覆したい」と言い続けてきた人ですから。それで本当に勝ってしまった。革命家ですよ。ただ、森林さんは会社員を経験していることもあると思うのですが、教師というよりは社会人という感じがします。そのあたりの雰囲気も言葉の力を持っている指導者の共通点のような気がします。
いよいよ、だなと思うんです。言葉の力を持っている指導者たちの方が優位な時代、勝てる時代になってきたのだなとつくづく思います。
松坂 よく身体的な痛みは一瞬だが、心の傷は一生消えないみたいな言い方をすることがありますよね。それはつまり肉体的な接触よりも言葉の力の方が強いという意味でもあるわけですから。人を傷つけるのではなく、人を生かすことに使えたら、言葉ほど最強の武器はないわけですよね。
中村 すごく興味深いのは辻さんは昔、かなり威圧的な指導をしていた方なんですよね。でもなかなか勝てずに、今の指導法に辿(たど)り付いた。女子バスケットボールの日本代表ヘッドコーチとして注目を集めた恩塚亨さんも対話型の、選手を尊重するタイプの指導者です。彼もかつてはかなり厳しい指導をしていたようなんです。東福岡高校ラグビー部の前監督で花園で4度、優勝している谷崎重幸さんも、下北沢成徳女子バレー部の監督で14もの全国タイトルを獲得している小川良樹さんも、もともとはスパルタ式で、あるとき180度指導法を転換し、さらに飛躍しました。
松坂 どのようなスタイルの指導法であれ、一つの方法をとことん突き詰めることができるというのは彼らの才能なのだと思います。だから「限界」という壁にタッチすることができた。そして、そこから反対側にターンできたのだと思います。
中村 そう考えると、今、まったく逆の方向に向かっている人たちも、方向転換できる可能性を秘めているということになりますよね。そもそも、そういう人たちは今の時代、リスクを顧みず、手を上げてでも、怒鳴ってでも、選手を何とかしたいという情熱があるわけです。その情熱があるのなら、きっと言葉で人を動かすこともできると思うんです。どんなに拙くても、魂の宿っている言葉は強いですから。
書籍紹介
甲子園から「丸刈り」が消える日――
なぜ髪型を統一するのか
なぜ体罰はなくならないのか
なぜ自分の意見を言えないのか
そのキーワードは「人権」だった
人権の世紀と言われる今、どこまでが許され、どこまでが許されないのか
高校野球で多くのヒット作を持つ中村計氏が、元球児の弁護士に聞いた
日本人に愛される「高校野球」から日本人が苦手な「人権」を考える
知的エンターテインメント
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