【完全記録・後編】総合馬術〝初老ジャパン〟最後の挑戦
【©日本馬術連盟】
天国から地獄へ……
総合馬術のハイライトであり最大の難関でもあるクロスカントリーを終えて、初老ジャパンは暫定3位につけていた。メダル圏内のポジションで最終日を迎えることができるこの状況に、選手はもちろん監督やコーチ、グルームを含め、チーム全体の士気はさらに高まった。日本にとってまたとないチャンスだ。「メダルを獲る」。ずっと目指してきたことが現実になろうとしていた。
ところが、だ。好事魔多し。北島のセカティンカJRAと戸本のヴィンシーJRAの2頭に異変が起きた。肢を痛めたようだ。クロスカントリーを走った直後は興奮状態のため、普段通りに元気に歩いていたのだが、厩舎に戻って落ち着いてみると、明らかに歩様がおかしかった。チームの空気は一変した。馬術競技で最優先されるのは馬のウェルフェア。競技参加にふさわしい、フィットした状態でなければ出場は認められない。翌朝には第四の競技とも言われるホースインスペクションが行われる。ホースインスペクションは馬の状態を審判員とオフィシャル獣医師が確認するもので、競技開始前日に第1回が、そして最終日の朝に第2回が実施される。インスペクションに合格すれば競技に出場できるが、不合格となってしまったらその後の競技には出られず、もちろん成績もつかない。ハードなクロスカントリー走行の翌日は、怪我をしてしまったり疲労していたりでコンディションが悪い馬も少なくない。そのため、第2回インスペクションに向けて、陣営は全力で馬をケアするのだ。
ヴィンシーJRAの様子を確認した戸本は絶望的だと感じていた。地面に着くことができない肢があり、翌朝までに普通に歩けるようになるとはとても思えなかった。しかし、獣医師による検査で、骨や腱を痛めたのではなく、蹄を怪我していることがわかった。人間で言えば、足に血豆ができたようなものだった。蹄の専門家である装蹄師(そうていし)に頼んでパットを入れてもらったところ、奇跡的に歩様が良くなったため、あとは翌朝に向けてひたすらケアして回復に努めた。
もう1頭のセカティンカJRAは競技馬としてはやや高齢の17歳。クロスカントリーを全力で走れば、その影響が体に出やすいことはわかっていた。グルームは厩舎地区がクローズするぎりぎりまで肢を冷やしたり、マッサージしたりしてケアし、翌朝も早い時間からできる限りのことをしてインスペクションに備えた。
TEAM JAPANとしてできることは全てした。あとは運を天に任せるしかない。
まだ望みはある。絶対に諦めない
緊張した面持ちでヴィンシーJRAを曳く戸本 【©日本馬術連盟】
実はこの時点で、選手や監督は大きな減点が加えられると考えていた。というのは、東京オリンピックではクロスカントリーで大岩が失権(走行中に競技を終えなければならない)し、リザーブだった北島が交代して最終種目の障害馬術に出たのだが、その時はクロスカントリーにおける失権点200と交代のための減点20、合わせて減点220を負ったのだ。しかし今回はクロスカントリーは完走していたため、状況が違った。大会オフィシャルに確認したところ、加算される減点は交代のための20点のみだとわかった。
クロスカントリー終了時点で日本の減点は93.8だったので、20点が加わると113.8。5位に後退したが、3位のスイス(減点102.4)、4位のベルギー(減点111.0)との差はそれほど開いておらず、可能性は残っていた。ただ、減点法であるため、自力で逆転することはできない。TEAM JAPANができるのはこれ以上減点を増やさないことだった。どん底に落ちたと思ったが、まだ望みはあった。諦めるわけにはいかない。
障害馬術は競技開始の数十分前に、選手がコースを徒歩で確認する“下見”の時間が設けられている。インスペクションを棄権した北島は責任を感じていたが、一人で落ち込んでいる場合ではない。コースの下見をしてメンバーにアドバイスするなど、全力でチームをサポートした。
コースを下見する北島(写真中央左)と田中(右) 【©日本馬術連盟】
出場が決まった田中は「どのタイミングでも交代できるように準備はしていましたが、まだメダルを狙える位置にいると知って、その責任の重さに鳥肌が立ちました。トイレに30分くらいこもりました」と振り返った。バーは絶対に落とせない。一つ一つの障害物を丁寧に飛越して落下なしでフィニッシュ、4秒のタイムオーバーで減点1.6が加算されてチーム減点は115.4となった。ベルギーは1落下(減点4)して減点115.0、スイスは2落下(減点8)とタイムオーバーがあって減点111.2、一巡目を終えて差が縮まった。
落下なくゴールした田中&ジェファーソンJRA 【©日本馬術連盟】
走行を終えてヴィンシーJRAを労う戸本 【©日本馬術連盟】
フィニッシュの瞬間、キスアンドクライで走行を見守っていたチームメンバーや監督、コーチ、グルームの喜びが爆発した。そんな中、戸本だけがその歓喜の輪に乗り遅れたように見えた。「大岩さんがミスなくゴールしたらメダルだということはわかっていたのですが、それが現実になったということが実感できなくて、本当に自分たちがメダルを獲ったんだろうか?という感じで、それが『やった!』という感情に変わるまでに数十秒かかりました」と振り返った。
状況を知らずに走った大岩は、自身が納得のいく走行ができたことでガッツポーズを見せていたが、退場間際に戸本から「メダルが獲れた」と伝えられて涙を見せた。
戸本からメダル獲得を知らされた大岩 【©日本馬術連盟】
田中もキスアンドクライで飛び上がって喜んだ。「嬉しかったですし、大岩さんが最終障害を飛越した時にはこみ上げるものがありました」
最終日に人馬の交代をして減点20を負ってなお、そこから逆転できたのはTEAM JAPANの誰もが諦めなかったからだ。選手、監督、コーチ、グルーム、チーム獣医師。それぞれが自身の役割を全うし、ベストを尽くした。その積み重ねが奇跡を生んだ。
もう一つの奇跡、4個の銅メダル
セカティンカJRAは肢を痛めていたので表彰式には参加させず、北島は徒歩だったが、4人揃って入場すると会場は大いに沸いた。銅メダルも馬へのリボンも厩舎掛け(厩舎に飾るための記念品)も4つずつ贈られた。馬術競技の表彰式は、入賞人馬がアリーナを大きくまわるビクトリーラップでフィナーレを迎える。この時も北島は先頭を走って会場を盛り上げた。
表彰式に臨むTEAM JAPANメンバー 【©日本馬術連盟】
この先、二度とないかもしれない“4個のメダルの奇跡”を見せてくれた初老ジャパンは、最高、最強のチームだった。
【日本馬術連盟 北野あづさ】
4人揃って表彰台に上がったTEAM JAPAN (左から)北島、大岩、田中、戸本 【©日本馬術連盟】
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ