【完全記録・前編】 総合馬術“初老ジャパン”最後の挑戦

日本馬術連盟
チーム・協会

競技の第一関門“輸送”

 大岩義明、北島隆三、田中利幸、戸本一真の4人で構成する日本の総合馬術チーム“初老ジャパン”は7月22日にイギリスでの事前合宿を終えた。メンバーはいったん各自の拠点に戻って荷物をまとめ、その夜のうちにヒースロー空港近くのホテルに入った。馬たちはそのまま合宿会場に残って、グルーム(馬の世話を担当するスタッフ)とともにパリに向かうことになった。
 競技馬は輸送に慣れてはいるが、怪我や体調を崩すリスクをはらんでおり、気を遣う部分だ。普段、競技に行く時は選手やグルームが馬運車を運転して馬を連れて行くが、今回は輸送専門業者が合宿所に迎えに来て、オリンピック馬4頭をパリまで連れて行ってくれる。イギリスからはドーバー海峡を通ってフランスに渡る。海峡を渡る際は、馬運車ごと列車に乗せてユーロトンネルを通過するのだ。列車の時間は決まっており、馬を馬運車の中に入れて置く時間をできる限り短くするために、出発は深夜になった。
 午後早い時間に馬運車が到着すると、荷物の積み込みが始まった。4頭分の飼料や馬具、厩舎作業用具、そして広い会場を移動するために必要な自転車など、持って行かなければならない物は膨大な量だ。ここでちょっとしたトラブルがあった。馬運車が2台来ると聞いていたのだが、実際には1台しか来なかった。とりあえず積んでみて、もし全部積めなかったら何とかもう1台手配してもらうことになったが、どうみても馬運車内の空間よりも荷物のほうが多く見えた。みんなで力を合わせて、これは本当に文字通り力を合わせて、馬運車に荷物を上げて、まるでテトリスのように隙間を埋めていった。ここで力を発揮したのは、大岩が騎乗するMGHグラフトンストリートのグルーム、エミリー。てきぱきとみんなに指示を出して作業を進め、最後には見事にすべての荷物を収め切った。

やってきた馬運車は1台… 【©日本馬術連盟】

みんなで荷物を積み込んでいく 【©日本馬術連盟】

【©日本馬術連盟】

少しの隙間も無駄にすることなく、荷物で埋めていく 【©日本馬術連盟】

ぴったり収まった!  【©日本馬術連盟】

テトリス大作戦はエミリー(左から2人目)が大活躍 【©日本馬術連盟】


 そして真夜中。深夜12時前に再び厩舎に灯りがともり、出発の準備が始まった。グルームはみんな輸送に慣れているベテラン揃いで、手際よく準備をしていく。肢を保護するための輸送用ブーツを着けてから馬運車に乗せると、馬は自らスッと自分のポジションに体を収める。グルームがベテランなら馬もベテランだ。まったく滞ることなく4頭を積み込むと、馬運車はパリに向けて出発した。

横積みの馬運車で、馬は写真上、左側に顔を向けて立つことになる 【©日本馬術連盟】

厩舎で輸送を待つ馬たち。ネットに入った乾草は、輸送中に食べるためのもの 【©日本馬術連盟】

乗り込んだ馬は自らポジションに体を収める 【©日本馬術連盟】

いってらっしゃーい! 【©日本馬術連盟】

 翌朝、パリオリンピック馬術競技会場近くの厩舎で選手と馬は再会し、さらに翌日の7月24日にオリンピック会場であるヴェルサイユ宮殿の厩舎に移動した。TEAM JAPANの馬たちは、まずは輸送という第一関門をクリアした。

オリンピックにおける特別な競技フォーマット

 2018年からずっとチームを組んできた4人の集大成となるパリオリンピック。「自分たちにはメダルを獲得する力がある」。そう信じてやってきたが、最大の目標だった東京オリンピックではチームとしては成績を挙げることができず、また、その後の世界選手権とパリオリンピック地域予選でオリンピックの団体出場枠を逃すなど、結果が出せずもどかしい日々が続いていた。だからこそ、思いがけず舞い込んだ団体出場のチャンスを無駄にするわけにはいかなかった。

 パリオリンピックで日本が目指すのは団体金メダル。もちろん簡単なことではないが、初めから遠慮して「目標はメダル」と言っていたら、メダルには届かない。最高の目標に向かって突き進まなければならない、と選手をはじめとするチームは考えていた。
 馬場馬術・クロスカントリー・障害馬術と3日間を走り抜くハードな競技ゆえ、馬の健康状態は何より大切な最優先事項である。そのため競技開始前日と、クロスカントリーを走った翌日つまり最終競技当日の2回、ホースインスペクションが行われる。これは審判員と獣医師が馬の競技参加適性を確認するもので、これに合格しなければ競技には出場できない。他の種目でもホースインスペクションは実施されるが、総合馬術競技においては第四の種目と言われるほど重要視されているのだ。

 ここでオリンピックにおける競技フォーマットを紹介しておきたい。馬術競技における団体戦の一般的なスタイルは、4人馬でチームを組んでその中の上位3人馬の成績を合計するというものだ。しかし、東京オリンピックから3人馬でチームを組んで全員の成績をカウントする方式になった。チームあたりの参加数を減らすことで、より多くの国/地域に出場機会をつくるという考えによるものだ。ところが、総合馬術はクロスカントリーで失権(落馬や3回の不従順等の理由により、その時点で競技を終えなければならないこと)する確率が低くないため、3人馬のうち1人馬がいなくなってしまうとチーム成績が残らなくなる。そのため、リザーブ人馬を準備して、何かあれば大きな減点を負って交代できる仕組みがつくられた。このようなルールがあるため、リザーブの馬もホースインスペクションに合格しておかなければならないのだ。

4人でチーム。でも1人はリザーブ。

 4人が初めてチームを組んだ2018年の世界選手権は、通常フォーマットで行われた大会で、4人とも正選手として競技に出場した。2022年の世界選手権、2023年のオリンピック地域予選も同様である。しかし、オリンピックは違う。初めから「正選手」と「リザーブ選手」に分かれてしまうのだ。東京オリンピックでは北島がリザーブだった。いつ交代があるかわからないから、人馬ともに万全の状態でスタンバイしていることが求められる。実際、大岩がクロスカントリーで失権して、北島は最終日の障害馬術のみ出場した。この時はクロスカントリーを完走できなかったことに対するペナルティとして減点200、さらに交代することに対する減点20、合計220の減点が加算されたため、日本は15ヵ国中11位に沈んだ。
 当時、北島は走行後のインタビューで「今はいろいろな気持ちがミックスされています。何かあった時のためのリザーブという立場だったので、しっかり準備はしていましたし、自分の仕事は果たせたかなと思います。この一走行にオリンピックへの気持ちをすべてぶつけました。楽しめました」と話していた。

東京2020オリンピックで、一緒にクロスカントリーの下見をする田中(左)とリザーブの北島(右)万全の状態でスタンバイするためにリザーブも常に100%の準備をする 【©日本馬術連盟】

 オリンピック・世界選手権レベルの競技にコンスタントに出場している日本選手は、大岩、北島、田中、戸本の4人のみ。パリオリンピックでも誰か一人はリザーブになるのだが、今シーズンに入ってからどの人馬も調子が良く、選考は難航した。その中から、今回のオリンピックのクロスカントリーコースへの騎乗馬の適性などを検討した結果、大岩、北島、戸本が正選手、田中がリザーブに選考された。
 正選手とリザーブ選手との間には当然大きな違いがある。しかし、『4人でチーム』の想いは揺るがなかった。事前合宿を経て、パリの会場に入ってからも4人は常にチームとして行動していた。

リザーブ人馬が立つ唯一の公の場、ホースインスペクション

 ホースインスペクションに話を戻そう。いざという時に備えるために、リザーブ馬も必ずインスペクションを受けて合格していなければならない。逆に言うと、田中とジェファーソンJRAがチームの一員として公の場に立つのは、このホースインスペクションのみとなる可能性が高い。もし、田中が競技に出ることになれば、それはつまりメダル獲得の可能性がほぼなくなるということになる。日本の4頭は無事にインスペクションに合格。TEAM JAPANはメダルに向けて着実に一歩一歩進んでいた。

ホースインスペクションに臨む田中とジェファーソンJRA。審判員と獣医師が歩様をチェックする 【©日本馬術連盟】

 団体戦とは言え、個人競技の馬術だが、こと総合馬術においてはチーム内のオーダーが重要だ。このオーダーはクロスカントリー競技を想定して決められることが多い。
 根岸監督から一番手に指名されたのは北島&セカティンカJRA。比較的早い出番になるため、他の選手の走行を見て作戦を練ることが難しい。自分の足で数キロに及ぶコースを何度も歩いて確認した情報をもとに、臨機応変に状況に対応しなければならない。そして、走行から得た情報を二番手、三番手の選手に伝えるのが重要な役割となる。二番手は大岩&MGHグラフトンストリート。大岩は「二番手は稼ぐのが仕事。三番手を少しでも楽に走らせるために僕が稼がないといけない」と話していた。そして三番手は戸本&ヴィンシーJRAだ。先に走った選手からの情報を踏まえ、チームの成績を強固なものにするためにやり過ぎないギリギリを攻めていくのだ。この「やり過ぎない」のさじ加減が大事だ。指示を出すのは乗っている選手だが、実際に走ったり飛んだりするのは馬。「ここまでいける」と判断して攻めの指示(障害物に対して極端に斜めから踏み切る指示など)を出しても、馬が「それは無理」と飛越を拒否することもあれば、強めの指示を出されたことによって変なスイッチが入って、選手の指示以上に張り切ってしまい、コントロールが難しくなることもある。
 馬と上手にコミュニケーションをとって、馬と自分の力を最大限発揮すること。それが選手には求められるのだ。
 “初老ジャパン”の戦いの準備は整った。あとはすべてをぶつけるだけだ。

【日本馬術連盟 北野あづさ】 (次回につづく)

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著者プロフィール

公益社団法人日本馬術連盟は、日本における馬術統括団体です。その事業は、馬術の普及・振興に始まり、全日本大会の開催、国際大会への派遣、選手強化、競技会規則の制定、資格の認定等、多岐にわたります。

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