「広島カープイズム」に迫る

広島カープのドラフト戦略から新井監督の今昔まで! 元監督・野村謙二郎がカープイズムを語りつくす

Timely!編集部

監督としてのドラフト会議での要望

監督時代にドラフト指名した鈴木誠也(左)と菊池涼介(右) 【写真は共同】

——2010年には11年連続Bクラスに低迷していたカープの監督に就任されています。この間に現在も主力を張っている選手を多くドラフトで指名されています。監督としてドラフトではこういう選手を獲って欲しいというリクエストはされていたのでしょうか?

野村 (指名する選手を巡って)スカウトの意見が二分するときがあるんです。そうやって意見が分かれたときに、ドラフト当日のスカウト会議の席で「監督はどっち?」と聞かれるんですけど、そういうときは「スピードがある方でお願いします」と必ず言っていました。それで獲ったのが菊池涼介と鈴木誠也です。

——「スピードがある方」というのはカープのチームカラーに合うから? それとも野村さんが「プロでやるにはスピードが大事」と思っていたから?

野村 毎年30本ホームランを打ってくれるような選手なら(スピードがなくても)獲るかもしれないですけど、僕のリクエストはスピードがあって尚且つショートまたはセカンドを守っている選手をお願いしていました。なぜならショートを守っている選手はサードもセカンドもファーストもできますし、ポジションが重なったら外野もできます。誠也なんてもともと投手とショートをやっていた選手ですから。肩も強かったですし。ショートを守っている選手だったら、ショートの感覚を持って外野を守る事ができます。日本ハムの新庄剛志監督も、もともとショートでしたけど外野に行って、あの肩の強さとスピードを活かしてゴールデングラブを何度も受賞する選手になりましたし。前監督の緒方(孝市)も、もともと内野で、外野に行ってブレイクしました。だからショートを守っていて、できればキャプテンもしていて、できれば三番か一番を打っていて、みたいな感じの選手をリクエストしていました。

2人の天才、前田と佐々岡

「一緒にプレーをしてすごかった選手」として名前の挙がった前田智徳(左)と佐々岡真司(右) 【写真は共同】

野村 すごい選手はいっぱいいましたけど、やっぱり前田智徳ですね。よく前田のことを例えるときに<天才>って言われますけど、彼は相当な努力家ですよ。練習も本当にすごくしていました。天才は天才でも<努力の天才>ですね。もともとが良いのにさらに練習をたくさんするから、ちょっともう僕らとは別世界でしたね。

——入ってきたときからすごかった?

野村 いやぁもう、入ってきたときからすごかったです。「うわっ! こんな高校生いるんだ!」って思いました、バッティングが美しいんですよ、フォームがとにかく。あとは自分の間でボールを見ることができて崩されることを嫌うというか。どんな形でもヒットはヒットじゃないですか? ライトに引っ張るつもりで打った打球がサードの後ろに飛んでポテンと落ちても、僕は「ヨッシャー!」という感じなんですけど、前田はそうじゃない。ボールが来たときに、極端に言うと自分のタイミングで(ボールに対して)入っていって、インパクトの瞬間にこの角度でバットが入っていけばスタンドインしなければいけない、外のボールはこの角度で(バットを入れると)レフト前に飛んでいく。そういう感覚で打っているイメージ。前田からそう聞いたわけじゃないですけど。

——ピッチャーではどうですか?

野村 大野(豊)さんも一緒にやっていますし、北別府(学)さん、川口(和久)さん、一つ下が佐々岡。あとは永川(勝浩)とかも一緒にやっていますけど。まぁ投手王国の時代の北別府、大野、川口はもうすごかったですよ。でも91年に優勝したときの佐々岡もすごいボールを投げていましたね。

——佐々岡さんこそ天才だと言われる方も多いですよね。

野村 それはそうですね。彼はもう天才です。

——言い方はあれですけど、努力よりも才能がすごい……?

野村 はっきり言いますよね(笑)。でもその通りだと思いますよ。「僕も努力していましたよ!」って怒られるかもしれないですけど、もう本当に才能だけ。才能だけ? いや、あの……帰ったら怒られるな(笑)。何をやらせてもすごい器用なんです。入団してしばらくは今でいうカットボールみたいなすごいスライダーを投げていて、なかなか打たれなくて、ボールも速かったですし。でも佐々岡がマイナーチェンジしたときはドローンとしたカーブを武器にしていたんですけど、あのボールは最初は投げていなかったんです。なかなかああいうカーブって投げられないんですよ普通は。あれを投げられてしまうところにセンスがあるなぁと思っていましたね。

監督・新井貴浩の手腕と広島カープイズム

その手腕を野村さんも評価する新井貴浩監督 【写真は共同】

——駒澤大学の後輩でもある新井監督が、FAで阪神に行くときには相談はあったのですか?

野村 相談されてないですね。僕は現役を辞めていたときだったので、テレビをつけたら泣きながら会見をしていたんです。よっぽど何かあったんだろうなと思っていたんですけど。金本は「野村さん、あれは嘘泣きですよ」って言っていましたけどね(笑)。でもまさか(広島から)出るとは思っていなくて、自分の思う何かがあったんだろうなと思っていました。

——阪神から戻ってくるときも相談はなかった?

野村 なかったですね。そのときは監督も退いていましたけど「また帰ってきたのでよろしくお願いします」くらいの挨拶だけで。帰ってきてからは大ベテランなのにキャンプからルーキーみたいにやっていたので、「開幕前に体だけは壊すなよ」って話しましたけど。

——2016年に優勝したときはMVPも獲られましたが、活躍をご覧になられていかがでしたか?

野村 新井がカープに戻ってきたときに、満員のマツダスタジアムで代打で出た試合を解説していたんです。「バッター、〇〇に代わり新井」とコールされたときに、マツダスタジアム全体が拍手、大歓声だったんです。「絶対にブーイングか野次られる」と新井は思ったそうなんですけどね。あれを見たときに、コイツはこれでチームの一員になれた。絶対に活躍するって僕は確信しましたし、こんな嬉しいことはないですよ。あのときのマツダスタジアムの雰囲気は自分の事のように、胸にこみ上げてくるくらい嬉しかったですよ。もしかしたら、いまチームを引っ張っている新井監督の原点というのは、あの打席の声援への恩返しなんじゃないか? そういうことさえ感じますね。ちょっと上手くまとめすぎたな(笑)。

——昨年は2位で今年も終盤まで優勝争いを演じました。監督としての手腕を監督経験者としてどのように見ていますか?

野村 選手を信じるというところもあると思いますし、新井監督の選手時代とは世の中も変わってきて野球のスタイルも変わりました。そういうところをしっかり把握してマネジメントしているという感じがします。あとは二軍で活躍した若い選手を一軍に上げてベンチに置くのではなくて、上げたら直ぐに使う。これはできそうでなかなかできないことですね。

——最後に野村さんにとっての「広島カープイズム」とは?

野村 僕はいまカープを外から見ていますけど、教わってきたことがずっと継承されているんですよね。それは何かと言ったら、一番は走ること。矢野(雅哉)がランニングホームランを打った試合があったのですが、ライナー性の打球ではなくてポーンと外野の前の方に上がったフライです。あれを見ながらやっぱり我々カープの後輩だなって思えたんです。打った瞬間に矢野が全力疾走していましたから。だからホームまで還ってこれたんです。あの打球で全力疾走をするチームがどれくらいありますか?
 空振り三振をしてボールがワンバウンドしたときには、カープにもたまにそのままベンチに帰ろうとする選手がいるんですけど、「何してんだ! 走れ!」ってテレビを観ながら言っちゃうんです。それくらい僕らには走ることが染みついているんです。一塁側のファールグラウンドにボールが上がったときもそうです。一塁側から(フィールド内に向かって)風が吹いていたら「走れ!」って言われるのが分かっているから走ります。野手のカバーリングもそうです。そういうところが、観ていると広島カープイズムというか、何が起こるか分からないからとにかく走る。僕らの先輩達も、僕の現役時代も、僕が指導者になってからもみんなずっと通過していって、今もそれがカープイズムとして残っているのは嬉しい。すごく嬉しいです。

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