注目は大谷の個人記録だけだった22年のエンゼルス 番記者振り返る苦闘の日々
二刀流・大谷翔平のMLBの2022年シーズンから始まり、2023年シーズンとWBC優勝、そして新天地移籍までの舞台裏を追ったノンフィクション。
アーロン・ジャッジ、マイク・トラウトといった、強力なライバル&盟友らの背景や生い立ちなど、アメリカのベテラン記者ならではの視点で描かれた「大谷本」の決定版!!
ジェフ・フレッチャー著『SHOーTIME2.0 大谷翔平 世界一への挑戦』から、一部抜粋して公開します。
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名将の解任
【Photo by Jayne Kamin-Oncea/Getty Images】
5月8日に、三塁手のアンソニー・レンドンがワシントン・ナショナルズ戦の延長10回に決勝安打を放った。
しかし、レンドンは5月26日のブルージェイズ戦で手首を痛めていた。そのあと5月28日に負障者リストに入るまでは、ケガを抱えたまま試合出場を続けた。そして、6月14日のドジャース戦で復帰したが5回で交代し、再び故障を悪化させることになり、結局は手術をしなければならなくなってしまう。
同時期に、テイラー・ウォードも負傷した。ウォードは開幕直後に快進撃を続け、打率.370に加えてOPSに至っては1.194に達していた。一番打者として素晴らしい輝きを見せ、マイク・トラウトと大谷翔平の前に打って出塁していた。
だが、5月20日に右翼守備についた際に、ウォードは大飛球を捕ろうとして外野フェンスに激突してしまった。その直後は大きな痛みもなく、負傷者リストに入る必要はなさそうだった。そのため、数日間だけ休養して再び先発に戻ったが、激突した肩にうまく力が入らず、ウォードは3カ月にわたり絶不調に陥った。
トラウトもキャリア史上最悪のスランプに陥っていた。5月29日以来、26打席無安打という惨憺たるありさまである。大谷も同時期に30打席4安打とふるわなかった。また、大谷はこの時期、マウンドで投手として最悪の試合を招いてしまう。
6月2日、ニューヨークで行われたヤンキース戦、ダブルヘッダーの第1戦のことだった。大谷は被安打8を許し、うち3本は本塁打で、わずか4回途中で4失点を献上することになった。この試合の大谷には「球種のクセ」が出ていて、ヤンキース打線に対して、無意識のうちに次の球種が何かを知らせてしまっているという説がささやかれた。
こういったもろもろすべてが重なり──ウォードとレンドンの負傷、そしてトラウトと大谷の絶不調──が重なり、14連敗という泥沼にはまってしまった。これはエンゼルスの球団史上、最悪の連敗記録である。史上最長連敗のなかでも最悪だったのが、11連敗目にあたる、6月5日にフィラデルフィアで行われたフィリーズ戦だった。
エンゼルスは5回終了の時点で5-0とリードしており、8回裏の時点でもまだ6-2とリードしていた。しかしフィリーズは、ブライス・ハーパーがクローザーのイグレシアスから満塁本塁打を放ち、同点に追いついた。
9回表にエンゼルスが1点を取って再びリードしたが、9回裏にフィリーズのブライソン・ストットが、ジミー・ハーゲットからスリーランホームランを放ち、逆転サヨナラ勝ちを許してしまったのである。
この惨劇の直後、クラブハウスは沈黙に支配されていた。その沈黙を破ったのは、ユニフォーム姿のままシャワーに入ったイグレシアスの叫び声だった。
こうしたエンゼルスの悪夢の日々を終わらせたのは、やはり、大谷翔平である。
「ここまで苦しい思いをして乗り越えてきたのは、当然、僕だけではないのですが」
そう大谷が切り出した。
「チーム全体が苦しんでいました。僕自身、本当は何度か先発投手として連敗を止める機会があったのですが、達成できませんでした。今日は連敗を止められることができて嬉しいです」
だが、この勝利はジョー・マドン監督の職を維持するには遅すぎた。
マドンは、これまで約40年間にわたりプロ野球のコーチや監督として活躍し、2021年の圧倒的な大谷のシーズンを実現するうえで、大きな役割を果たしたことは間違いない。マドンとゼネラルマネージャー(GM)のペリー・ミナシアンは、大谷に好きなようにやらせるという英断をくだし、その結果、大谷翔平は野球史上最高のシーズンを生み出すことができたのだ。
12連敗のあとに、残念ながらマドン監督は解任された。フィル・ネビンが三塁コーチから暫定監督に昇格し、大谷がエンゼルス入団後の5シーズンで、マイク・ソーシアからブラッド・オースマス、そしてマドンと続いたあとの4人目の監督となった。
もっとも、大谷がこの大変化について大きな不安を覚えることはなさそうだった。ネビンは前任のマドンと同じように、大谷を起用すればいいということを十分に承知していたからだ。