書籍連載『THE RISE 偉大さの追求、若き日のコービー・ブライアント』

エア・ジョーダン“生みの親”とコービーの出会い 「偶然の組み合わせ」によって新たな歴史が始まった

ダブドリ編集部

運命としか説明できない

 1994年に彼はキャンプの開催地をロスマン・センターへと移した。ウィンウッドから2時間もしないニュージャージー州ハッケンサックにあるフェアリー・ディキンソン大学の施設だった。そして七月上旬のキャンプが始まる一日前に「青天の霹靂が起きて世界が変わった」と彼は語った。

 キャンプは無料だったものの招待制で、ジョー・ブライアントは賭けに出た。ヴァッカロの仲介役としてロングアイランド・パンサーズというAAUチームのコーチをやっていたギャリー・チャールズに連絡を取った。ソニーに直接連絡するよりも簡単で、リスクが少ない方法だった。サニー・ヒル・リーグでコーチをしていたことやラサール大学での仕事を通じて、ジョーにもそれなりの人脈があった。

 でも何年も前に1972年のダッパー・ダンで出会ったことをソニーが覚えていなかったら?
 
 チャビー・コックスもダッパー・ダンでプレーしたことをソニーが覚えていなかったら?

 そうなったら恥ずかしい思いをすることになる。まずはチャールズに連絡を取り、ジョーが聞きたいことを質問する方が賢明だった。

 三年生になるコービーがABCDキャンプに参加することは可能だろうか?

 全国でもトップの選手たちを相手にすることができるだろうか?

 ソニーはジョーの願いを聞き入れてくれるだろうか?

 ソニー・ヴァッカロがコービー・ブライアントの起源を語る際、ソニーが登場する場面にはアレン・ルービンからの電話でコービーについて聞いた話は出てこない。それではドラマ性も魔法もないからだ。

 ヴァッカロは語った。

「ジョーが現れて、私はすぐに彼のことを思い出したよ。ギャリーが『ソニー、ジョー・ブライアントだ。イタリアにいたからまだ誰も知らない彼の息子について話がしたいそうだ』と言った。ジョーがやってきて、我々は再会を果たした。これがスポーツというもので、これがチャンスと偶然というものだ。人生はそういう仕組みになっている。ジョーがもし学生時代にABCDキャンプのメンバーに選ばれていなかったら? パムと会ったとき、彼女は『兄もプレーしたことがあるんです』と言った。こういったことが全部繋がった」。

 その繋がりは、ソニー・ヴァッカロが運命としか説明できないものが実体化したものだった。そしてその運命はジョーとパム・ブライアントが息子と一緒にフェアリー・ディキンソン大学に到着するまで姿を現さなかった。

「その子が現れるまでは」とヴァッカロは言った。

 その子。「それがコービー・ブライアントなんだ」。

書籍紹介

【写真提供:ダブドリ】

 父ジョーからはバスケットボールを、母パムからは規律を学んだコービー・ブライアントは、幼い頃からコート上でその才能を輝かせていた。しかし、13歳でイタリアからフィラデルフィアに戻ったコービーは、バスケットボールという競技だけでなく、逆カルチャーショックやイタリアから来たよそ者というレッテルとも戦うことになってしまうのだった……。

 本書はNBAレジェンド、コービー・ブライアントがフィラデルフィアで州大会優勝を成し遂げ、レイカーズに入団するまでの軌跡を描いています。コート上の話だけでなく、アメリカの黒人文化や社会構造、また大学リクルートの過程などさまざまな要素が若きコービーに影響を与える様が綿密に描かれているファン必携の一冊です。

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著者プロフィール

異例の超ロングインタビューで選手や関係者の本音に迫るバスケ本シリーズ『ダブドリ』。「バスケで『より道』しませんか?」のキャッチコピー通り、プロからストリート、選手からコレクターまでバスケに関わる全ての人がインタビュー対象。TOKYO DIMEオーナーで現役Bリーガーの岡田優介氏による人生相談『ちょっと聞いてよ岡田先生』など、コラムも多数収載。

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