【道標 Vol.6】花岡 伸明
同年、W杯に出場した日本代表の成績はふるわなかったものの、国内シーンは盛り上がった。
多くの人に刻まれた『雪の早明戦』はその年の12月。そのシーズン、早大は関東大学対抗戦を制し、大学日本一にも輝いた。
社会人ラグビーでは、関東を制した東芝府中が全国社会人大会で初優勝を果たす。同チームにとっては、翌年に創部40年を迎える年だった。
記念すべきシーズンに主将を務めていたのが花岡伸明さんだ。就任1年目に悲願の瞬間を迎えた。
1959年4月生まれで秋田・大館鳳鳴高校の出身。バックローとして活躍した。
筑波大を経て1982年に加わった。「大学の監督室から(東芝の)総務部経由でラグビー部の方に電話をつないでもらいました」という。
入社翌年、チームは全国大会準優勝を経験している。
当時のチームは、強いフォワードをキックなどで前面に出して戦うスタイルを強みとしていた。
高校1年時まではバスケットボールと陸上競技にも取り組んでいた花岡さんは、全員で走るのがラグビーと考えていた。
自身が主将に就いて、グラウンドを大きく使い、ボールを動かすラグビーを実現しようと、練習にも走り込みの日を設けるようにした。日本一は、その延長線上にあった。
決勝戦でトヨタ自動車を19-7のスコアで破り、欲しかったタイトルを手にした同シーズン。しかし、強く記憶に残っているのは全国大会1回戦のことだ。
当時力を高めていた神戸製鋼相手に16-15と土壇場で逆転勝ちをした。
その試合で花岡さんは、主将らしく、チームに元気を与えるプレーを連発する。
先制トライ時は、両軍の選手同士がキック処理で競り合い、こぼれたボールに反応して拾う。すぐに前に出て、決定力のある背番号11へ。そのまま戸嶋秀夫がインゴール左隅に飛び込んだ(当時トライは4点)。
そして10-15で迎えた試合終了直前のプレーでも輝いた。
自陣でのスクラムから、狭いスペースの左を攻める。SH田中宏直からのパスを受けたFB向井昭吾が前進し、外の戸嶋へ。向井は戸嶋からのリターンパスを受けると前進し、今度はサポートしていた主将にボールを渡した。
花岡さんは左タッチライン際を駆け上がる。ロングゲインした後、内に切れ込む背番号11にパス。それを受けた戸嶋は、トライ後のコンバージョンキックのことを考え、仲間たちのいるインサイドへボールを投げた。
グラウンドを跳ねるボールをCTB奈良修が手にしてタックルを受けた。そこでできたラックからFL田中良がボールを持ち出してインゴールへ入った。その後のキックをSO渡部監祥が決め、勝利と次戦への進出を決めた。
主将就任と同時に着手した、運動量が多く、ボールを持って走るラグビーが実った一戦。先人たちが築いてくれたFWの力強さの上に新しいスタイルを付け足したチームは、そのまま覇権に続く道を走り切り、ついに戴冠の時を迎えた。
しかし、そのシーズンのクライマックスとなった早大との日本選手権(当時は社会人王者×大学王者の一発勝負)では、16-22と敗れて悔しさにまみれる。
相手は展開力を持ち味とし、優勝の味も知る存在。とはいえ、自分たちが上回っているFWの強さを前面に出して戦っておけば結果は違ったかもしれない。その試合で勝利するのに最適の戦い方をとらず敗れた。
ただ、それは決して足踏みではなかった。チームは翌年にも全国社会人大会準優勝の位置まで勝ち進み、1992年、1994年も同様の結果を残す。花岡さんは30歳になった1989年度から(選手兼任)監督を務め、1993年度まで指揮を執った。
花岡さんから向井監督へ引き継がれたのは、指揮官のポジションだけでなかった。戦う集団としてのベーシックな部分も継続がうまくいったと考えるべきだろう。
いまやっていることが数年後に結果として出る。スポーツでは、よくある。それは、東芝ラグビーの歴史をひもといても同じだ。
花岡さんは監督就任後、頭の中にあったことを会社に提案した。世界のラグビーがオープン化(プロ化)したのは1995年以降。その少し前から、スポーツのトップチームにはプロ的な強化、活動が必要と考えていた。
チームが強くなるためには、選手、スタッフが頑張るだけでは足りない。支える立場の会社も強化に加わる必要がある。
そう訴え、グラウンドを芝に、クラブハウスを作りましょう、専門的な肉体改造を現実的にする組織作りをと、次々と提案した。
アンドリュー・マコーミック(のちに日本代表主将)やクレイグ・フィルポットという外国人選手や、魅力的なラグビースタイルを実現するための人材の確保(現GMの薫田真広氏やフランスでプロとして活躍した村田亙氏ら)についても、積極的に会社に訴えて実現した。
未来図を描くセンスや先見の明は広く知られることとなり、1999年度からヤマハ発動機(静岡ブルーレヴズの前身)の監督・GMに招かれ、代表強化に加わったり、いくつものチーム成長に関わった。
2018年度には秋田ノーザンブレッツのチームディレクターにも就任。現在は故郷・大館市に暮らし、秋田県ラグビー協会の理事も務めている。
近年のブレイブルーパスの躍進を喜び、プレー面でも、活動としても周囲の一歩先を歩くチームであってほしいと言う。
アイデアは無限で、発想は誰かに止められるものではないのだから。
(文中敬称略)
(ライター:田村 一博)
第7節の引き分けの決着をつける大事な試合となりますので、是非会場で皆さまの熱いご声援をよろしくお願いします!!
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