連載:元WBC戦士は語る―侍ジャパン優勝への提言―

WBC優勝メンバーの里崎智也と谷繁元信が振り返る 「訳が分からぬまま始まって終わった」第1回大会

前田恵

謎の判定に全員の頭が「?」

ボブ・デービッドソン主審の判定が物議を醸した 【Wally Skalij/GettyImages】

 さて話題は、チームの雰囲気やチームメイトのあれこれに移る。

 「とにかく王(貞治=監督)さんが温かかった」と里崎さんは冒頭、振り返った。「選手をリスペクトしてくれたね」と、谷繁さん。個性あふれる選手たちも当然プロ集団で、「全員が全員、干渉し合わないし、かといって好き放題しているわけでもなかった」と里崎さんも言う。では2人から見た、スーパースター・イチロー(シアトル・マリナーズ)さんの存在とは? こちらも詳しくは、本編でどうぞ。

 2人の思い出話で最も盛り上がったのが、第2ラウンド1組の米国対日本、いまなおファンの記憶にも鮮明であろう、「疑惑の判定」である。

 2006年3月12日、エンゼルススタジアムに3万2,000人超の観客を集め、米国対日本戦が始まった。先攻の日本は初回1点、2回に2点と得点を重ねるが、2回裏にチッパー・ジョーンズ(アトランタ・ブレーブス)のソロで2点差、ついには6回、デレク・リー(シカゴ・カブス)の2ランで追いつかれてしまう。

 3対3の同点で迎えた8回表一死満塁。七番の岩村明憲(ヤクルト)さんがレフトに飛球を放った。三塁走者・西岡剛(ロッテ)さんが、タッチアップで生還。日本の勝ち越しだ。しかし米国・マルティネス監督が「(タッチアップのタイミングが)早い」と抗議した。そこに登場したのが、ボブ・デービッドソン主審である。

 この大会では三塁走者の離塁について、主審が判定する決まりになっていた。とはいえ、三塁に最も近い場所にいた塁審が自信をもって「セーフ」の判定を下したあと、判定が覆ることも、ありえない。王監督が必死に抗議したが、再度判定が覆ることはなかった。

 あのときは2人だけでなく、ベンチにいた日本代表メンバー全員の頭の上に「?」マークがついていただろう、と笑う谷繁さん。「100人が見ても100人、セーフだって言うよね」と谷繁さんが続けると、里崎さんも「“え? タッチアップが早かった? そんなわけないよね”みたいな(笑)。現場にいたら、何がなんやらよく分からなかった」。当事者にしてみれば、当然セーフと思って見ていた場面を「アウト」を判定され、「疑惑の判定」に怒りを覚えるというより「謎の判定」に呆気にとられたといった反応だったようだ。

成田空港での大歓迎にビックリ仰天

2006 年はガラケーが主流の時代。選手たちは日本国内での熱狂を知る由もなかった 【写真は共同】

 スマートフォンがまだ普及しておらず、選手たちもガラケーを使っていた時代。日本国内でWBCをどんなふうに取り上げているか、アメリカにいた選手たちは知る由もなかった。日本国内ではこの「疑惑の判定」を機にテレビのワイドショーでさえWBCを取り上げるようになり、注目度もぐんぐん上がっていった。

 WBCへのそうした日本国民の関心度の変化を、選手たちは行きと帰りの空港でしみじみ感じたそうだ。

 アメリカに行くときは、成田空港に誰も見送りがおらず、航空会社の関係者か社員が「頑張ってください」と横断幕を作ってきただけ。ところか世界一を勝ち取り、飛行機で成田空港に戻って税関を抜けた瞬間......「“ヨン様”か、と思った」(里崎さん)ほどの人と熱狂的な歓迎に、選手たちはただただ驚いたのだった。

 そして、トークは帰国時の選手たちの「服装」へ...。こちらも詳しくは、動画にて。

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著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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