連載:元WBC戦士は語る―侍ジャパン優勝への提言―

WBC優勝メンバーの里崎智也と谷繁元信が振り返る 「訳が分からぬまま始まって終わった」第1回大会

前田恵
 2006年、「16カ国招待」という形で始まった第1回WBC。その後、第3回大会には世界28カ国が参加し、予選で本戦出場16カ国が決まる形に変化。第5回から本戦出場枠が20カ国に拡大され、現在に至る。
 谷繁さん、里崎さんが出場した第1回大会は、まだまだ運営側も参加選手も手探りの大会だった。対談の後編は、アメリカでの生活や疑惑の誤審判定についてなど、当時のエピソードについて振り返ってもらった。

当時の里崎さんが配球をイメージできなかった投手とは?

WBC第1回大会では里崎智也さんがメインでマスクを被った 【写真:ロイター/アフロ】

 「最初、何もよく分からないまま“(WBC が)始まるんだ”って感じでしたよね」と里崎さん。谷繁さんも「(チームに帯同するスタッフの数が足らず)ケージの出し入れからバッティングピッチャー、ボール集め、ノック......ふだんは専任のスタッフがいるところも全部、選手自身がやらなければいけない状況で行ったよね」と振り返る。さらに里崎さん曰く「食事会場もなくて、ワケのわからんアメリカでほっぽらかされて、ご飯を食べに行きましたね」......。食べ物の恨み(!?)は、今生忘れないものである。

 第1回WBCで日本代表メンバーに選ばれた捕手は谷繁さん、里崎さんと相川亮二(横浜)さんの3人だった。しかし代表戦の場合、オールスター戦のよう3人が均等に出場機会を与えられるわけではなく、それぞれに役割があった。第1回WBCにおいては、メインでマスクをかぶったのが里崎さん。最年長の谷繁さんはベンチに控え、客観的な目線で里崎さんにアドバイスを送った。いわば、スコアラー的な役目である。一方相川さんはブルペンに待機し、ピッチャーの球を実際に受けながら、彼らの状態を把握した。そこには前述のように、ブルペンキャッチャー自体が少ないという現実的な事情もあった。

 里崎さんが正捕手を務めた背景には、当時のロッテ、里崎さん自身の力や勢いもさることながら、先発陣にパ・リーグの投手が多かったこともあっただろう。松坂大輔(西武)さん、渡辺俊介(ロッテ)さん、清水直行(ロッテ)さん、和田毅(ソフトバンク)さん、杉内俊哉(ソフトバンク)さん......。セ・リーグの投手で唯一先発陣に入っていたのが、上原浩治(巨人)さんだった。

「パ・リーグのピッチャーはふだん対戦しているので、どういう配球がベストか、イメージも作りやすかった。でも上原さんだけはよく分からなかった」という里崎さん。その上原さんが先発した第2ラウンド初戦のアメリカ戦では、谷繁さんが先発マスクを被った。

 里崎さんは、「アメリカ戦でのシゲさんのリードを見て、上原さんへの配球を勉強しました」とのこと。谷繁捕手の上原投手リード術は、本編にて。

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著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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