高津臣吾「明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと」

「信頼」と「我慢」のマネジメント――高津監督が絶不調でも大黒柱・青木宣親を代えなかった理由

高津臣吾

【写真は共同】

「節目を大切にする」ということ

 僕はいつも「節目を大切にしたい」と考えている。

 「1年間」というスパンで見れば、キャンプイン、オープン戦開幕、ペナントレースの開幕という節目があり、シーズンに入ってからも、ゴールデンウィーク、交流戦開幕といった節目は大切にしている。もちろん、短期的スパンで見ても、「1週間」「1試合」「1イニング」といった節目は重要視している。

 「節目を大切にすること」の意義、効用はさまざまだ。

 調子が悪いときには、原因を振り返ることもできるし、悪い流れをリセットすることもできる。調子がいいときも、好調の理由をきちんと理解できる。長いペナントレースでは、このリセットがとても重要だ。

 監督になって1年が過ぎ、2年目を迎えた。マンネリ化を防ぐためにも、リセットはとても大切だ。「監督2年目」の心境として、初めて1軍監督を任された前年と比べれば、間違いなく「慣れ」というものはあった。

 とはいえ、「だからラクだ」ということでは全然なくて、常に肝に銘じているのは「昨年と同じ失敗は二度としない」という思いだった。最下位に終わった2020年は、さまざまな課題が見つかった。それらを、キャンプ、オープン戦を通じて一つずつ潰してきたけれど、まだまだ課題はある。その点は常に意識しなければいけない。

 「昨年と同じ失敗は二度としない」ために、指揮官がやるべきこと、これは現役時代から変わらないことだけれど、試合をする、結果が出る、課題を反省・復習する、次の試合に備えて予習する、この繰り返しでしかない。

 現役時代も、「昨日はこういうボールで打たれたから、その反省を踏まえて、今日はこういう攻め方をしよう」ということの繰り返しだった。それは監督になってもまったく変わっていない。

 日々、いろいろなことを想像し、考え、新しい取り組みをする。その繰り返しだ。

結果の出ない選手に語り掛ける言葉

 交流戦前の試合でリリーフに失敗し、石山泰稚をベンチから外すことにした。

 5月9日の巨人戦では岡本和真選手に逆転3ランを喫し、16日の中日戦でも失点を喫して勝利を逃した。さらに21日のDeNA戦でも9回に2点タイムリーヒットを打たれてチームは敗れた。

 そしてこの日の夜、僕は「決断」をする。

 クローザーとして信頼していた石山の不振により、配置転換を余儀なくされることとなり、スコット・マクガフにクローザーを託すことに決めたのだ。石山はファーム落ちすることなく、1軍に帯同して試合に出ながら復調を模索することとした。これは、僕にとっては実に大きな決断だった。

 僕の中でも、石山の起用法についてはいろいろ考えていた。それがどんな形になるのか、成功するのかどうかは別として、最終的には「石山が9回を投げないといけない」という思いはまったく変わっていなかった。その状態に戻るための時間を過ごすべく、1軍の試合に出ながら、心の調整、技術の調整を続けているということだった。

 現役時代、僕自身もクローザーを任されていた。

 リリーフ失敗でチームの勝利を消してしまった経験は何度もある。結果が出ないとき、「一度、クローザーから外してほしい」と弱気になることもあった。でも、自分から「外してほしい」とは決して口には出さなかった。クローザーというのは、たとえ結果が出なくても、全ての責任を背負わないといけないものだからだ。チームの勝利であれ、敗戦であれ、その責任を全て背負うのがクローザーであるからだ。

 もちろん、きちんと抑えてチームが勝てば、勝利の喜びをみんなで分かち合うことができる。けれども、自分が打たれてチームが負けたら、それは自分で背負うしかない。厳しい言い方になるけれど、誰かに慰めてもらったって自分の力になるわけじゃないのだ。どんなに辛いときにも、辛い姿を見せない。しんどいところを決して見せない。それが一番しんどいことなのだけれども。

 元々の性格かどうかはわからないけれど、石山は自分の感情を表情や態度に出す男ではない。だから、その立ち居振る舞いから、彼がどんな感情なのか、どんな心境なのかはつかみづらいかもしれない。

 けれども、彼は必ず元の石山に戻ると僕は信じていた。ただ、そこにいたるまではとても苦しい時期であることは間違いない。

 5月21日のDeNA戦でリリーフに失敗したあと、翌22日の試合は石山をベンチ入りさせなかった。それは決して懲罰的な意味合いのものではなく、あくまでも心身ともにリフレッシュして、一度リセットするためのクールダウン期間としてのものだった。

 このときに、これからの過ごし方、気持ちの持ち方のようなものを直接彼に話をした。彼に当てはまるかどうかはわからないけれど、僕自身が経験したことも話した。現役時代にクローザーだったからこそ、チームの中で一番、石山の気持ちを理解しているという自負はあった。

 このとき、「結果の出ない選手に対する監督の心得」ということを真剣に考えた。復調するまでじっと待つ。あるいは配置転換をする。持ち場を変えたり、ファームに落として再調整をしたり、それはその人によって、そのケースによって、いろいろな解決策があるはずだ。

 でも、結果が出ないときに忘れてはいけないのは、本人が常に「なぜ?」「どうして?」という思いを持ち続けることだと思う。「なぜ?」の繰り返しで試行錯誤することが解決への糸口だと、僕は考える。どんな問題、スランプであっても、コツコツと努力してひた向きに練習していれば、必ず時間が解決してくれるとも信じている。それが1週間なのか、1カ月なのかはわからない。だけど、ただボーッとしていたら、元に戻るのにかなりの時間がかかる。

 しかし、きちんと自分自身と向き合うことができれば、少しでも早く戻ることができる。石山が本当に立ち直るためには、かなりの努力と精神力が必要になるだろう。けれども、必ず石山は戻ってくる。僕はそう信じていた。

 彼にはそのようなことを話した。

 本当にいい状態に戻すために時間が経つのをじっと我慢する。その間にしっかりと頭の中を整理して、身体を鍛え直すこと。努力を続けること。そうすれば「必ず時間が解決してくれるよ」とは伝えた。そして、「その代わり、その間は相当大変だよ」と話し、「だけど必ずお前は再び9回を任される投手になる」と告げた。

 とにかくいっぱい走って、いっぱい身体を動かして、いっぱい頭の整理をする。ビデオでの研究も必要だろう。投球フォームのチェックも必要だろう。ベンチを外れた間、そして配置転換をしている間に、そこを突き詰めてほしい。指揮官として願うのは、ただそのことだけだった。

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著者プロフィール

1968年広島県生まれ。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より東京ヤクルトスワローズ監督。

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