高津臣吾「明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと」

前年最下位から「リーグ優勝」「日本一」という結果を得た2021年 ヤクルトに一体、何が起こったのか

高津臣吾

非常事態時にこそ、人としての「器量」が問われる

 僕の言う「もっと辛い経験」とは、具体的にはこんなことだ。

 現役時代にクローザーとして結果が残せなかったこともそうだし、プレーしたいのに投げさせてもらえない、ユニフォームを着させてもらえない、契約してもらえないというのは本当に辛いことだった。

 シーズン中にクビを宣告されて、グラウンドに行きたくても行けない。昨日まで一緒にプレーしていた仲間たちの試合を自宅でテレビ観戦する辛さと比べたら、「開幕3連敗」は悔しかったけれども、まったく辛いとは思わなかった。

 現役を引退して監督になってからも、きちんと試合ができることに喜びややりがいを感じていたからだ。ましてや、新型コロナウイルスが猛威を振るうこんなご時世で、きちんと試合ができるだけでもありがたいし、いろいろな人たちに感謝しながら試合をしなければいけないと思っていた。それは選手たちも同じ思いだろう。

 開幕3連敗というショックの中、3月31日には青木宣親、内川聖一が新型コロナウイルスの濃厚接触者として自宅待機という非常事態が起こった。

 しかし、こうなることも想定した上で始まったシーズンなのだから、今さらどうこう言っても始まらない。新聞記者にも話したけれど、こんなこともあっての野球だと思うし、こんなこともあっての人生だと思う。

 こういうピンチのときにどうやって乗り越えるかということは、単に野球の問題だけではなく、人間の大きさに関係してくることだと、僕は思う。目の前に大きな壁がそびえ立ったとき、乗り越えるのが困難な状況に陥ったときに、それまでの、その人自身の経験や考え方が大きく影響することになる。

 ピンチを迎えたときに「絶対に無理だ」と考える人は、絶対にそのピンチを乗り越えることができない。僕はそう考えている。ピンチのときこそ、「何とかしよう」とか、「どうやって乗り越えるか?」と頭を使うことで、初めて解決のヒントが見えてくる。

 すぐに諦めて投げだしてしまうのか? それとも、どうにかして解決の糸口を見つけようとするのか? それは、つまりは人間の器量に関わる問題なのだと思う。こんなことを言うと、「じゃあ、お前の器量はどうなんだ?」と尋ねられるかもしれないし、自信もない。それでも、僕はそう考えてずっとやってきた。

 今回のコロナによる選手離脱の際もそう思っていたので、強がりでもなんでもなく、「青木がいれば……」とは考えなかった。いないのはしょうがないので、すぐに切り替えて他のことを考えたのだ。

 そんな非常事態下ではあったが、3月30日からの横浜スタジアム3連戦は2勝1分、翌巨人3連戦も1勝1敗1分と、選手全員で必死に戦った。

 うちは元々、潤沢な戦力を誇っていたわけではない。勝つにしても、負けるにしても、常にギリギリの戦いをしてきた。ギリギリの状態をずっとキープするというのは、精神的にも肉体的にも大変なことだけれど、うちはそうしないと他球団と互角に戦っていくことはできない。そんな思いはこの騒動以前から変わらない。

 常に極限状態というのは心身ともにとても大変なことだ。

 しかし、そのギリギリのラインまで行かないと互角に戦うことができない。だからと言って、そのラインを超えてしまうとパンクしてしまう。その辺りの適切な判断は首脳陣はもちろん、本人にも求められることだ。

 ただ、こんな状況下だからこそ、若い選手たちには「今がチャンスのときだ」と自分をアピールしてほしい。キャンプのときから選手たちには伝えていたけれど、僕が選手たちに求めているのは目が血走るぐらい虎視眈々とチャンスを狙うような思いでいてほしいということだ。

 僕から見ていても、どうも仲良し集団に見えてしまうことがある。「他人を踏み台にしてでも這い上がってやる」という選手が、もっと増えてもいいなという気はしていた。プロの世界は、そんなに甘っちょろいものではないからだ。

 僕は学生時代から「根性」とか、「気合い」というものだけを押し出すスタンスが嫌いだった。そういうことに反発するタイプだった。しかし、近年のスワローズにはもう少し、勝負師として、「何クソ」とか、「絶対にやってやるぞ」という思いがあってもいいのかなという気はしていた。もしかしたらみんな胸の内に秘めているかもしれないけど、それがあまり表に出てこないのだ。

 持って生まれた性格とは別に、勝負師としての心構えや厳しさというものを意識的に持つことが可能なのかどうかは、僕にはわからない。

 しかし、実際に打席に立ったとき、あるいはマウンドに上がったときにギリギリのところで相手と勝負をしなければいけない。

 相手も必死に向かってくる中で、本当の自分の力を出して結果を出すためには、勝負師としての厳しさは絶対に必要になってくる。そういう舞台を経験すれば、次第に備わってくるものだと僕は思う。グラウンド上では、優しさは必要ないのだ。

「明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと」

【写真提供:株式会社アルファポリス】

 2021年、東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監督は前年最下位だったチームをセ・リーグ優勝、さらに20年ぶりの日本一へと導いた。若手選手が次々と台頭し、主力・ベテランが思う存分力を発揮するそのチーム力は、スワローズの新黄金時代の到来すら予感させる。全ての選手が明るく楽しく野球を楽しみ、かつ勝負にも負けない。髙津監督はこの理想のチームをどのようにつくり上げたのか――

2/2ページ

著者プロフィール

1968年広島県生まれ。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より東京ヤクルトスワローズ監督。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント