高津監督就任初年度の屈辱と、そこで得たもの。手応えがなくても、信じて進むしかない
屈辱にまみれた監督初年度を振り返って
【写真は共同】
残念ながらスワローズは2年連続の最下位に沈んでしまった。全120試合を戦って、41勝69敗10分、勝率はわずか.373。首位の巨人とは25ゲーム差も引き離されるという惨憺たる結果に終わった。
一つ一つの出来事を思い出していくと、本当にいろいろなことがあったし、簡単ではなかった1年だった。シーズンが終わり、12月を迎えた頃、改めて振り返ってみると一気に駆け抜けたような1年だった気がした。
僕は元々ネガティブな性格なので、開幕前にはあまりいいイメージを持っていなかった。そういう意味では、悪い意味でイメージ通りになってしまった気がする。改めて、「ここが弱いな」「ここはこうしなければいけないな」というのが顕著に具体化してしまったのだ。
開幕前の段階で抱いていた「ネガティブなイメージ」とは、具体的にはこういうことだ。これは前年からずっとそうだったけれど、第1章で述べたように、「まずは投手陣を整備しなければ」という思いを強く持っていた。それはつまり、「勝てる先発投手を増やすこと」「繋いで逃げ切れるリリーフ陣を作ること」だ。
この年、小川泰弘が先発投手として10勝を挙げ、清水昇がセットアッパーとして最優秀中継ぎ賞のタイトルを獲得した。また、石山泰稚がシーズンを通じてクローザーとして頑張ってくれたことなど、もちろんきちんと成果を出してくれた点もあった。
しかし、シーズン成績やチーム防御率を見れば、「きちんと立て直すことができた」とはまったく言えない1年だった。
2019年……チーム防御率4.78(リーグ6位)
2020年……チーム防御率4.61(リーグ6位)
この数字が物語るように、前年からほぼ何も変わらぬ結果に終わっていた。神宮球場のような打者有利の狭い球場を本拠地としているスワローズの場合、打線の厚みを加えて「得点力アップを目指す」という考え方と、「投手を中心とした守備力を向上させて最少失点を目指す」という考え方の両輪がある。
しかし、2020年シーズンに関しては、「(ウラディミール・)バレンティンが抜けて得点力は下がるかもしれない」ということは事前に想定していた。その上で、「センターラインを固めて守備力を向上しよう」と考え、ショートのアルシデス・エスコバーを獲得した。しかし、肝心の投手陣の整備が思うようにいかずに、結果を残すことができなかった。
何から何まで、反省ばかりのシーズンだった。
でも、その中でも少しでも前進した部分もあった。結果が伴わなかったので大きな声では言えないけれども、そんな思いもあった。それは、この章で述べてきたように、勝利を目指して戦いつつも、多くの若い選手たちにさまざまな機会を与えられたことだ。
特にピッチャーに関しては多くの選手を起用したし、彼らも「これが1軍のマウンドなのか」と感じることができたと思う。
プロとしての第一歩を切らないと、二歩目は絶対にない。そういう意味では、こういうチーム状況だったからこそ、若手にチャンスを与えることができたし、確実に翌シーズン以降の二歩目、三歩目を歩むためのスタートの年になったという気がする。マイナス面だけを見ずに、この点は必ず将来に向けていい方向に進んでいくと、僕は信じていた。
その象徴となったのが、最終戦となった11月10日、神宮球場で行われた対広島戦だ。期待のルーキー、奥川恭伸のプロ初登板初先発だった。
このとき、彼には特に何も言わなかった。試合前に「緊張してるか?」と声を掛けて、「1軍の雰囲気を勉強材料としてしっかり感じて、来年に活かせるように」と言ったぐらいだ。
結果的に、2回途中5失点で奥川はマウンドを降りた。本人も悔しかったと思うし、僕も「もう少しいいピッチングが見られたらいいな」と思っていたけれど、「これは時間がかかるぞ」とか「来年もしんどいな」とはまったく思わなかった。
繰り返しになるけれど、「二歩目を踏み出すためのいい一歩目になったんじゃないかな?」と、僕は感じていた。そして、その予感は正しくて翌年こちらの期待以上の成果を上げることになるのだが、それは第4章で詳しく述べたいと思う。
試合後のセレモニーでは監督あいさつの途中で、いきなり奥川を呼び寄せてあいさつを促した。
僕らもそうだったけれど、ファンの方々にとっても、「みんなが待っていた奥川恭伸」だったからだ。
マウンド上でその姿を披露することができた。その上で、せっかくの機会だから自分の声でファンの人にメッセージを送ってほしい。ファンサービスの思いもあった。奥川自身は、突然の指名に「何をしゃべればいいですか?」と慌てていたので、「自己紹介と、『頑張ります』と言えばいい」と伝えた(笑)。
ところが、突然の無茶ぶりだったのに、僕の想像以上に堂々とあいさつをしている姿を見て、「ああ、さすがだな」と頼もしく感じた。
「20失点」の屈辱は絶対に忘れない
7月2日の対広島戦では村上宗隆のサヨナラ満塁ホームランもあった。やっぱり、劇的なサヨナラ勝利はすぐに頭には浮かぶ。しかし正直言えば、そうした試合よりも負けた試合、悔しい試合の方がずっと頭には残っている。
例えば、阪神に20点取られた試合があった(7月28日)。先発のガブリエル・イノーアが2回7失点でKOされ、トータルでは11四球、20失点という試合だった。あの試合は本当に悔しかったのでよく覚えている。
マスコミから、「思い出の試合は?」と聞かれると、まずこの試合が頭に浮かんだ。あと、巨人に12対0で負けた試合もあった(6月28日)。そもそも、「強い、弱い」とか、「勝った、負けた」ということ以前に、きちんと勝負できているのか。そこが大きな問題だと感じたのがこの試合だった。あの悔しさは絶対に忘れちゃいけないと心に誓ったし、その思いは今でも変わらない。
あのときの悔しさ、そして情けなさ。
もちろん、先にも述べたようにいいゲームはたくさんあったし、いいバッティングも、いいピッチングもあった。でも、それ以上に負けた悔しさ、情けなさ、歯がゆさ、頭の血管が切れそうになったことの方が圧倒的に印象に残っているのが、正直なところなのだ。
現役時代には何度も胴上げ投手として歓喜の瞬間を味わってきた。たとえ敗北を喫したとしても、すぐに自分の手で雪辱を果たすチャンスもあった。しかし、現在の「監督」という立場では、自分自身ではどうすることもできない。ただ見守ることしかできない。そんな歯がゆさももちろんある。
自分の現役時代と比べれば、一つの敗戦をずっと引きずるというのか、「ああすればよかった」「こうすればよかった」「こんな手を打つべきだったのではないか?」などと考える時間がかなり長くなったのは間違いない。
現役時代にはすぐに深い眠りに落ちていたのに、1軍監督となってからは常に眠りが浅く、夜中に何度も目が覚めてしまうようになった。
さっきも言ったように、勝った試合よりも負けた試合の方が強く印象に残っているので、「采配で勝った試合」というのは探せばあるのかもしれないが、すぐには浮かばない。それよりも、「これができた、あれができた」「こうすればよかった、こうしなければよかった」という思いばかりが心に残っている。僕の采配、選手の起用法、作戦がしっかりしていれば、こんな成績にはならなかったので、その点はすごく反省しているし、責任を感じている。
福岡ソフトバンクホークスと読売ジャイアンツが激突した2020年日本シリーズはテレビで見た。
テレビでしか見ていないので、細かいところまできちんと把握しているわけではないけれど、ひと言で言えば「自分たちとの違いを感じた日本シリーズ」だった。そして同時にソフトバンクの強さを再確認もした。選手個々の身体の大きさの違い、体幹の強さの違い、監督の試合の進め方、運び方の違い……。何から何まで我々と違う。
決して簡単なことではないけれど、我々も「日本一」を目指す集団である以上、ソフトバンクを倒すことを目標にしなければいけない。そんなことを強く感じた。
このままでは絶対にソフトバンクには追いつけない。
ならば、どこを変えるべきか、何を改善すべきか、そういうところを一つ一つ丁寧に検証していくしかない。悔しいけれど、その差は歴然としていた。「自分たちは全てが劣っている」という自覚を持って臨んでいかないと絶対に勝てない。このままでは絶対にいけない。そう思わされた。