番狂わせ度は「日本のW杯制覇」以上 J2で“リーグ戦7連敗中”甲府はなぜ天皇杯を獲れたのか?
スモールクラブがACLへ
今季は甲府に4年ぶりに復帰した吉田達磨監督 【写真は共同】
吉田監督は言う。
「勝ったら勝ったで、次の問題が出てきます。競技場をどうするかとか、予算が大変とか、選手層が薄いぞとか……。でもアジアの人々に、小さなクラブに目をつけてもらえれば、このプロヴィンチア……小さな街のクラブが少しずつ大きくなるきっかけになります。露出も増え、自分たちの価値が上がっていきます。ACLは僕も2015年に監督として出場しましたが、1回出ると本当にまた出たくなるんですね。そういったものがクラブ、選手のなかに芽生えれば、またさらに(クラブが)大きくなるきっかけになります」
「J1にだけ勝てる」理由は?
まず、結果は出ていなくても内容は悪くなかった。吉田監督はこう説明する。
「リーグでは7試合負けています。シュートも切り替えも、ペナルティボックスに入る回数もコーナーキックも、基本的には相手を上回っていた十数試合のなかで、勝ち星だけがなかった。決定率と被決定率は最下位近くに沈んでいます。狙っている、練習していることもできるけれど、ネットだけが揺れない――。そういう苦しさのなかにチームもサポーターもいました」
戦術的な説明もある程度は可能だ。甲府は主に[5-4-1]の布陣で戦う堅守のチームで、格上相手だと持ち味が引き出されやすい。
もっとも“堅守”といっても、甲府が大雑把なサッカーをするという意味ではない。そもそもサッカーの攻守は不可分で、プレスを回避して自陣から脱出する術がなければ守備も難しくなる。甲府はバレーやダヴィ、パトリックと言ったブラジル人ストライカーの“一発”に頼ってきたクラブだが、今はなかなかそのような掘り出し物と巡り会える時代ではない。決勝戦の先発メンバーは平均175.1センチと小柄で、今の甲府は攻守とも“精密さ”で解決するスタイルだ。ちなみに決勝の先発メンバーに、外国籍選手はセンターバックのエドゥアルド・マンシャしかいない。
「後半の途中まで」という留保はつくが、甲府の崩しは広島相手にも通用していた。三平、長谷川と攻撃陣を構成する鳥海芳樹はこう述べる。
「さんぺーさん(三平)や長谷川とはいい関係を築けています。3人とも技術には自信を持っているので、それをこの大舞台でも少しは出せました。受けるのを怖がらずにやれた結果が、いいコンビネーションにつながったのかなと思います」
J1の守備が甲府の強みを引き出す
鳥海芳樹(左)は165センチの小兵だが大きな貢献を見せた 【写真は共同】
大まかにいうとJ2はスペースを消す守備をする傾向が強く、J1はリスクを冒してもボールを奪おうとするクラブが多い。実は甲府から見ると「守備が動いてくれる」「ラインを上げてくれる」ほうがやりやすい。相手が前に圧をかけてきたら、その背後にはスペースが生まれる。技術と連携は必要だが、プレスを剥がして逆の“矢印”を突くことで圧を逆用できる。甲府はただ耐えるだけでなく、そのような攻撃の怖さも出していた。
もちろん集中、切り替え、位置取りといった細やかな努力の積み上げは甲府の強みだ。それが無ければ、格上相手に耐える試合運びは不可能だろう。吉田監督もこう語っていた。
「我々が積み上げてきた『切り替える』とか、『自陣ではしっかり守る』とか、『ファイトし続ける』とか、本当に平凡な、ただただ小さなことを選手が忠実に実行していました」
街、クラブの支えと「積み上げ」
「今日のあのサポーターたちはもちろんですけど、普段の生活から自分に声かけてくれて、色々と支えてくれる……。そんな地元の人たちがいます。若い頃の自分は落ち着いていない性格だったけれど、それを改めさせてくれた。自分をキレイにしてくれてるような、そういう街です」
クラブのカルチャーについてはこう述べる。
「小さいけれど、色んな人が人の何倍も努力するようなクラブです。そのおかげで今こうやって、本当にいいクラブになったと実感しています。昔からいる会社の人たちは、すごいな……と思います」
甲府は都会のクラブ、ビッグクラブとは明らかに違うカルチャーを持っている。社員の大半が地元出身で、人の出入りはあまり多くない。メディアに対しても温かくて、居心地のいい空気がある家庭的なクラブだ。少クラブの「悔しさ」「辛さ」はあるはずが、悲壮感が外には伝わってこない。それがきっと選手にも作用している。
各クラブの経営規模が拡大していくなかで、甲府の相対的な地位はどうしても落ちている。主力が台頭するとすぐ引き抜かれてしまう状況が続き、チーム作りが毎年リセットになる難しさもある。
それでも甲府はクラブ全体が平凡な、小さなことを怠らず、前向きに一人ひとりが努力を続けてきた。一歩一歩の積み上げが、とんでもない快挙を呼び込んだ。今回の天皇杯制覇は誠実に、地道にフットボールと向き合ってきた人々に運命が与えた“ご褒美”なのかもしれない。