[連載小説]アイム・ブルー(I’m BLUE) 第14話 中堅選手の本音
【(C)ツジトモ】
2000年代初めは選手がまとまる分岐点として、「◯◯の夜」といった美談として書かれることが多かった。だが、2006年W杯で、その印象が180度逆のものになる。
2006年W杯直前、ジーカ監督が守備の細かい指示を出さないことに選手は危機感を持ち、自分たちで戦術を話し合うことにした。「どこから守備を始めるか」、もしくは「ディフェンスラインの高さをどうするか」といったことだ。
だが、どんな戦術にも長所と短所がある。すなわち絶対的な正解はなく、平等な立場の選手たちで話し合うと、どうしてももめてしまう。
準備期間の合宿中、まさに衝突が起こった。「前から奪おう」という攻撃の選手と、「後ろに引こう」という守備の選手の主張がぶつかり、結局、迷いを抱えたままW杯の初戦を迎えてしまう。そして初戦を劇的な逆転負けで落とし、チームは空中分解してしまった。
2010年W杯前も、ほぼ同じことが起きる。岡島監督のアグレッシブに前からプレスをかける戦術が機能せず、選手たちが追い込まれ、スイス直前合宿で選手たちはミーティングを開催した。
結論から言えば、このミーティングはプラスに作用した。その要因は2つあった。まず1つ目は、主張が強い選手が守備陣に集まっていたこと。ブラジル出身のセンターバックが「下手には下手なりのサッカーがあるだろ!」と熱く訴えると、それがチームの総意になった。
2つ目の要因は、2006年W杯の失敗を経験した選手がいたことだ。彼らは選手ミーティングの危険性を知っており、議論がぶつからないように注意を払った。
結局、そのミーティングの内容を知った岡島監督は、「下手なりのサッカー」にチェンジすることを決断する。守備を固める戦術のもと選手が奮闘し、国外開催のW杯で初のベスト16入りを果たした。
一方、攻撃陣の自己主張が強かったのが2014年W杯だ。
ザッコ監督はカウンターを受けるリスクを考え、片方のサイドバックが上がったら、逆側のサイドバックは後方にとどまるように求めた。だが、攻撃陣はショートパスで崩すために、両サイドバックを同時に上げさせて欲しいと要求する。パスコースが増えるからだ。
リスクがあるため反対する選手もいたが、攻撃陣に声の大きい選手が多く、彼らの主張がチームの総意になった。
しかし2010年W杯のときとは異なり、監督の心を動かすことはできなかった。ザッコ監督は両サイドバックを上げることに断固反対したのである。その妥協の代償がW杯で待っていた。攻撃のオプションが減り、第2戦で相手に守備を固められたときに、崩す手がなかった。
2022年W杯を目指すアジア地区最終予選では、初戦から2連敗したため、早くも第3戦前に選手ミーティングが開催された。だがそこで意見がぶつかって遺恨が残り、予選敗退の引き金となってしまった。
日本代表選手は、それぞれ「ブルー」への強い思いがある。だが、必ずしも同じ青とは限らない。異なるブルーが混ざって1つの青になれば選手ミーティングはプラスに作用し、混ざらず分離するとマイナスに作用してしまう。とにかく何かを起こす劇薬だ。
そして2030年W杯直前、歴史がまた繰り返されようとしている。
オラル前監督時代、選手ミーティングが開催されたことが何度かあった。そのときに発言するのは29歳の丈一や高木といったパリ五輪世代ばかりで、他の選手は台詞のないエキストラのような存在だった。
「どうせジョーさんたちが決めるんだから、もうミーティングは開催しないでほしい」
何度もそう言おうと思ったが、秋山は我慢し続けてきた。あと1、2年辛抱すれば、自分たちの時代が来る。今日の選手ミーティングでも本音は絶対に言ってはいけない。
沈黙は金なり――。秋山は鏡の前で優等生の顔をつくれているか確認し、部屋を出た。
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【(C)ツジトモ】
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代表チームのキーマンに食い込み、ディープな取材を続ける気鋭のジャーナリストが、フィクションだから描き出せた「勝敗を超えた真相」――。
【もくじ】
第1章 崩壊――監督と選手の間で起こったこと
第2章 予兆――新監督がもたらした違和感
第3章 分離――チーム内のヒエラルキーがもたらしたもの
第4章 鳴動――チームが壊れるとき
第5章 結束――もう一度、青く
第6章 革新――すべてを、青く
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