エンゼルス前監督マドンの言葉「大谷翔平の本質はあの日の午後に集約されている」
【写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ】
打撃のほうでは大きな飛球を打ってくれると信じていたが、あれだけのイニングを投げてくれるとは思わなかった。
見事に長いイニングを投げてくれて、さらに長く投げられそうな勢いだった。シーズンが進むにつれ、あいつは試合中ずっと出ていたいのだと、われわれも認識するようになった。
試合に出ていさえすれば、試合展開に大きな影響をもたらし、勝ちに貢献できるという確信が、あいつの中にはあるからだ。
登板の際には、もっと勝利に貢献したいからと打撃も志願する。
攻撃の際には、打つだけでなく盗塁もしてわれわれに勝ちをもたらそうとする。平凡なセカンドゴロを打ったときでも、内野安打の可能性を信じてトップギアで全力疾走する。
見ていて実に気持ちのよい光景だ。まるで大型のワイドレシーバーを見ているようだ。大柄で、手足が長く、映え、強靱で、しかも俊敏だ。本当に俊足なのだ。
繰り返すが、ショウヘイが野球を楽しむ姿勢はどれほど強調してもまだ足りない。
あれだけの大成功を収めながら、今もまだ野球を楽しんでいる。
似たような存在として思い出すのは、カル・リプケン だ。体格がどうこうの話ではない。遠くから見ていて、野球を楽しめること自体がカルの最大の資質だとつねづね私は感じていた。
プレーすることを楽しんでいて、試合が楽しくて仕方ないのだ。
ショウヘイもまったく同じだと私は見ている。
同じく、ショウヘイの闘争本能の強さもカルを彷彿させるところである。ショウヘイはとにかく負けたくないのだ。
つねに試合に出ようとすることが、カルを突き動かし続ける原動力だった。ショウヘイもまったく同じだ。
われわれのロッカールームには小型のビリヤード台があり、試合終了1時間後に私が球場を出ようとすると、ショウヘイはまだ勝負していたりする。
これぞ、ショウヘイだ。いつも競い合い、しかも、楽しんでいるのだ。