村岡桃佳、回転で5位も「悔いはなく、達成感」 “二刀流の集大成”として臨んだ北京で金3個、銀1個
北京パラリンピックは“二刀流の集大成”
19年春から本格的に陸上競技へ挑戦し、“二刀流の集大成”として臨んだ北京パラリンピックで見事な活躍を見せた 【写真:松尾/アフロスポーツ】
「スキーに関して引退するというつもりは全くありません。陸上に関しても東京パラリンピックが終わった時点から、『今後どうするのか』といろいろな方に何度も聞かれましたが、自分の中で見据えているのは東京パラリンピック、その先の北京パラリンピックまでというのが常にあったので、大会が終わらない限り自分がどうしたいか決められないと思っています。その先について、今は深く考えていないという状況です」
19年春から、本格的に陸上競技への挑戦を決意。そのため、スキーに割ける時間というのはほとんどなく、村岡にとっても最初は不安がある中でのチャレンジとなった。陸上競技を決心した約1年後、予期せぬ事態が起こる。新型コロナウイルスの影響によって、20年3月に東京パラリンピックの1年延期が正式発表された。
そのため、北京パラリンピックに向けての調整期間が丸々1年間短縮され、約半年間で冬の大舞台に挑むことになった。村岡はこの半年間の調整について、心境を吐露していた。
「東京パラリンピックが終わってからすぐに冬に向けての準備を始めて、海外の合宿や遠征など重ねていく中で、『もう半年経ってしまうのか』というのが率直な気持ちです。ただ、切り替えとしては自分の中ではわりとスムーズに夏から冬に戻ってこられたなと思っていますし、自分が想像していた程の不安というか心配な気持ちは現在抱えていないので、本当に北京パラリンピックがすごく楽しみです」
夏冬“二刀流”挑戦によって培われた対応力
ほとんど「ぶっつけ本番」で北京パラリンピックに挑むこととなった村岡だったが…… 【写真は共同】
箸がうまく使えず、日常生活を送るのも困難のなか、本格的な練習を再開したのは開幕1カ月を切ったタイミング。実戦からは2カ月以上離れた、ほとんど「ぶっつけ本番」で北京パラリンピックに挑むこととなった。
それでも、日本人初の冬季パラリンピック金メダリストで、現在は日本障害者スキー連盟の大日方邦子強化本部長は村岡の対応力について、次のように話していた。
「彼女(村岡)は能力が高く、陸上競技も本格的に取り組んでいるので、スキーをする時間がほとんどない、短い時間の中でもこれまで調整することができていました。この経験が今回も幸いするんじゃないかなと期待しています」
その言葉通り、直前のアクシデントがありながらも、北京パラリンピックでは調整不足を感じさせない圧巻の滑りを見せ、金メダル3個と銀メダル1個を掴(つか)んだ。村岡の類い稀(まれ)なる対応力は、夏冬“二刀流”挑戦によって培(つちか)われた。
「改めてこのすごく難しいコースを滑って、体幹は強くなっていると感じました。ヘッドコーチにも言われましたが、精神的な部分が陸上から帰ってきて変わったと言ってもらえたので、自分でも自信を持って言えると思います」
肉体的な部分はもちろん、メンタル面での成長。“二刀流の集大成”と位置づけていた北京パラリンピックの競技が終わり、村岡は次に何を目指すのか。報道陣の問いに次のように話した。
「本当に何にも考えていなくて(笑)。ただ、スキーに関しては4年後のミラノ・コルティナパラリンピックを目指していくと思いますし、陸上に関してはゆっくり休んで気持ちをリセットして、もう一回自分がどうしたいか考えていきたいと思います」
さまざまなプレッシャーを乗り越え、北京の地で結果を残したことは村岡にとって得難い経験になっただろう。驚きなのがまだ25歳。ゆっくりと休んだ後に、どのような決断を下すのか楽しみに待ちたい。
(取材・文:赤坂直人/スポーツナビ)