思わぬ結果の小平奈緒、1000mに覚悟を持って臨む 高木美帆の銀メダルはコーチとともに「挑戦した証」

沢田聡子

高木の銀メダルは「挑戦した証」

銀メダルを獲得し、金のエリン・ジャクソン(中央)、銅のアンゲリナ・ゴリコワ(右)と写真に納まる高木美帆 【写真は共同】

 高木は、自分のタイムに驚いていたという。「無心で滑っていた」というレースを終え、この後のチームパシュートへ意識が向く中、「だんだんメダルの可能性が出てきて、後半に近づくにつれてソワソワし始めたような感じでした」と振り返る。

 「このタイムが出せたので、メダルでもメダルじゃなくても、次はプラスの気持ちで挑めるなと思っていたので。それがこの結果で、いろいろな条件が重なったということもあると思いますが、銀メダルを取ることができたのは純粋にうれしく思います」

 オールラウンダーとしてこの五輪を戦う高木美帆だが、自他ともに認める“専門種目”は世界記録保持者でもある1500メートルだろう。優勝候補として臨んだ1500メートルは7日に行われ、高木は平昌五輪に続き銀メダリストとなっている。二大会連続の銀メダル獲得が偉業であることは間違いないが、高木自身金メダルを目指して臨んだだけに、無念さが残ったようだ。

 「1500メートル終わって、悔しい気持ちや悲しい気持ち、あまりポジティブじゃない気持ちを抱えていて。その中でもメダルセレモニーがあったり、今まで自分がトライしてきたことを思い返したりして、少しずつ自分の気持ちの整理はしていましたね」

 精神的な部分だけではなく「滑りの方に関しても、苦しい時間は結構続いていて」と高木は振り返っている。ただ、団体戦であるパシュートの予選に出場したことが、気持ちの切り替えに役立ったようだ。

 「パシュートとなると自分一人だけの力で滑るわけではないので、そういう責任感だったり、仲間の頼もしさだったりということで、また1500メートル・3000メートルとは違った気持ちで挑むことができた」

 また高木にとって大きかったと思われるのが、新型コロナウイルスの陽性反応により隔離期間があったヨハン・デビットコーチが合流したことだ。「日々の流れの中でいつもヨハンがそばにいたので、ふとした時にかけてくれる言葉が急になくなった期間っていうのは、やっぱり結構しんどいものがありましたね」と高木は振り返る。

 「やっぱりずっと見ていてくれたのも、ヨハンだったので。表情やスケートのちょっとした変化に気づいて適切な言葉を常にかけてくれていたので、それが急になくなって自分自身でそれに気づかなくてはいけなくなった時に、ヨハンの存在の大きさというのを改めて感じる部分はありました」

 一人では強くなり切れなかったと感じるともしつつ、高木は「今は、一緒にこうやってまたリンクで戦うことができて本当に嬉しく思っています」と話している。

 優勝候補として臨むも2位となった1500メートルの時とは、明らかに違う明るい表情の高木がそこにいた。500メートルに臨む前には、デビットコーチからずっと「肩に力が入っている」と言われ続けたといい、「そこにいろんな意味合いがこめられていて」と高木は説明する。

 「単純に力を抜けばいいというわけではなくて、私はその言葉から、動きに今までと違うどういう変化が出ているのかという情報を拾ったりもするので、そういった影響もあるのかなとは思います」

 専門化が進む中、オールラウンダーとして独自の戦い方を貫く高木にとり、この500メートルでの銀メダルの意味は大きい。

 「この銀メダルというのは、それこそ挑戦した証だなと思っているので。挑戦できたということは誇りたい」

 同時に「ただ、結構スケジュール的に無理をして出ている部分も少なからずある」とも高木は言う。

 「このメダルの意味をさらに上げることができるのは、この後次第なのかなと思っているので、しっかり挑もうと思っています」

 小平は1000メートル、高木はチームパシュートと1000メートルを残している。二人の五輪は終わっていない。

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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