連載:プロ野球みんなの意見

江本孟紀、槙原寛己、里崎智也がCSを切る! プロ野球・新旧おしゃべり番長座談会

前田恵

「10・8」を制した長嶋監督の言葉力

巨人は1994年の「10.8」決戦を槙原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄のリレーで制し、リーグ優勝を果たした 【写真は共同】

江本 僕が南海にいた頃のパ・リーグは、計130試合を65試合ずつ前期、後期に分け、それぞれの優勝チームが5試合制のプレーオフを戦ってシーズンの優勝チームを決める「2シーズン制」を採用していたんだよ。73年の南海は前期で優勝したものの、後期はボロボロで首位と13ゲーム差の3位。ところが後期、12敗1分けで1勝もできなかった阪急相手にプレーオフで勝って、リーグ優勝してしまった。2シーズン制がなかったら僕は日本シリーズには出ていなかったし、いつものようにゴルフ場でテレビを見ながら「おいおい、今頃まだ野球している奴がいるぞ」なんて言っていたと思うよ(笑)。

一同 笑い。

――もし今、2シーズン制を導入したらどうなると思いますか?

江本 おもしろいかもしれない。5試合制の短期決戦だったら、前述の南海のようなチームにもリーグ優勝の可能性が出てくるからね。

槙原 短期決戦はいい投手を2、3人用意して先発ローテーションを回せたら、十分に勝ちに行けますよね。

里崎 相手チームのエースを攻略することも、短期決戦のポイントですね。僕は現役時代、計4回プレーオフ、CSに出場しましたが、05年は斉藤和巳、10年は杉内俊哉と、相手チームのエースから勝つことができた年はパ・リーグを制しています。でも、07年は日本ハムのダルビッシュ有に、13年は楽天のマー君(田中将大)に負けてしまい、結果、ロッテはCSを突破できなかった。ところで、昔の短期決戦はエースが3連投するようなこともあったんですよね?

江本 そうなんだよ。73年の南海対阪急のプレーオフでは、僕は1戦目と5戦目にリリーフ、3戦目に先発して完投勝利を挙げたんだ。というのも、野村克也監督が「阪急は1戦目の先発としてお前を起用することを予想しているから」と言って、1戦目の先発を回避した。そして、最も大事な試合と位置付けた3戦目に先発して、後はすべてブルペンで待機。チームが勝った試合すべてに登板したけど、何の賞ももらえなかったよ(笑)。

一同 笑い。

里崎 江本さんの起用策が当たった野村監督のように、短期決戦は監督の采配以上に「誰を起用するか」の方が重要だと思います。昨シーズンのパ・リーグのCSでは、楽天の石井一久監督はマー君を1、2戦に投げさせずに負けてしまった。監督の役割における選手起用の重要性を、改めて感じました。

槙原 1994年の「10・8」決戦(129試合を終わって同率首位の巨人と中日が直接対決で優勝を争った)で、長嶋(茂雄)監督は「今日は特別な試合だから」と言って、僕、斎藤雅樹、桑田真澄の先発三本柱を継投させた。「他の投手には投げさせない」とまで言ったんです。特別な試合と言われたことで僕らも気持ちが引き締まったし、この一戦にかける監督の思いを選手全員が感じました。これが、あの試合に勝ってリーグ優勝できた一番の要因だと思っています。一方、中日の高木(守道)監督は今中慎二を先発に起用し、普段通りの継投をして巨人に打たれ、負けました。シーズン19勝している山本昌を使えたにも関わらず、使わなかった。里崎君の言うように、選手起用と監督がもたらす緊張感は、短期決戦の結果を左右しますね。

江本 短期決戦は監督次第で結果がガラッと変わる。CSを継続するのであれば、監督はもっと自分の色を出して、短期決戦をさらにおもしろくしてほしいね。たまに「シーズン中と同じように、選手が頑張ってくれれば」なんてコメントを出す監督もいるけど、あれはズルいよ。監督が策を考えないでどうするんだって言いたいよ(笑)。

一同 笑い。

(構成:スリーライト)

プロフィール

江本孟紀(えもと・たけのり)
1947年高知県生まれ。 法政大、熊谷組を経て、70年に東映(現日本ハム)に入団。72年に南海(現ソフトバンク)移籍後はエースとして、73年のリーグ優勝に貢献。76年には阪神に移籍し、81年に現役引退。92年には参議院議員初当選を果たす。タイのナショナルベースボールチーム元総監督。現在は野球解説者として活動するとともに、独立リーグ「高知ファイティングドッグス」総監督を務める。

槙原寛己(まきはら・ひろみ)
1963年愛知県生まれ。大府高を経て、81年にドラフト1位で巨人に入団。83年に新人王を獲得すると、斎藤雅樹、桑田真澄とともに「三本柱」の一角として、7度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献。94年には対広島戦で史上15人目となる完全試合を達成した。2001年に現役引退。現在は野球解説者、タレント、YouTuberとして活動している。

里崎智也(さとざき・ともや)
1976年徳島県生まれ。鳴門工業高から帝京大を経て、1998年にドラフト2位で千葉ロッテマリーンズに入団。2005年のリーグ優勝と日本一、「史上最大の下剋上」と呼ばれた10年のリーグ3位からの日本一に貢献。06年のWBCでは正捕手として王ジャパンを世界一に導いた。14年に現役引退。現在はテレビ、ラジオ、YouTube、書籍など、幅広い分野で活動中。

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著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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