一方通行のなでしこを、宇津木瑠美が危惧「このままではさらにファン離れが進む」

吉田治良

「フェンシングの金」にチャンネルを変えた人も!?

東日本大震災の被災者から勇気をもらい、なでしこは2011年の女子W杯を制した。多くの人の支えがあってこそのサッカーだと、もう一度見つめ直してほしい 【写真:アフロ】

 この試合、残り10分を切って、(テレビの)チャンネルを変えた人はきっと多かったはずです。正直、私も「フェンシングで金メダル」のニュース速報が流れたときは、そっちを見たいと思ったくらいですから。

 私は、今のなでしこのメンバーよりも劣っているから、その場に立つことはできませんでしたが、本当に最後は、「誰でもいいから相手を追いかけ回して、カード覚悟のタックルを見舞ってほしい」と思いながらテレビ画面を見ていました。

 選手たちはきっと悔しい思いをしているはずです。しかし、テレビを見た人たちの中で、果たしてどれだけの人が、同じように悔しがってくれているでしょう。「ああ、やっぱりな」って、そう思った人の方が多いかもしれません。

 現在のなでしこに、ピッチの上だけで、自分たちの世界だけですべてが完結していると思っている選手がもしいるとしたら、そこはもう一度、見つめ直さなくてはいけない。

 コロナで命を落とした人、失業した人、開催に後ろ向きの人、今回の東京五輪はいろんな思いがある中で開催された大会でしたし、そうしたことに対する選手たちの声も、できればもっと聞きたかった。

 私がプレーしたかつてのなでしこは、「3・11」の震災があった2011年に女子W杯で優勝しました。それも、私たちが被災者から生きる力や勇気をもらい、サッカーができる幸せをあらためて感じられたからこそなんです。それがなければ、絶対に世界一にはなれなかった。

 もちろんプレー面も大切ですが、サッカーやスポーツが、どれだけ多くの人に影響を与え、どれだけ多くの人たちに支えられて成り立っているかを、もっと考えてほしい。そうした双方向の関係性の中で歴史を築いてきたのがなでしこであり、それも含めて、なでしこの魅力だったはずなんです。

 若い選手が中心の新しいなでしこジャパンに、私は好印象を抱いています。けれど、今のように一方通行のままでは、昔からのファンが離れていき、新しいファンも増えないでしょう。今の選手たちは技術的には素晴らしいものがあります。でも、だからこそ余計に、そうした部分が残念でならないんです。

(企画構成/YOJI-GEN)
宇津木瑠美(うつぎ・るみ)
1988年12月5日生まれ、神奈川県川崎市出身。2歳からサッカーを始め、14歳でなでしこリーグの日テレ・ベレーザに入団。21歳でプロに転向すると同時に、フランス女子リーグのモンペリエHSCに移籍する。正確な左足を武器とするMFとして世代別代表でも活躍し、16歳で初選出されたなでしこジャパンでは、2011年女子W杯優勝、15年女子W杯準優勝に貢献した。16年にアメリカのシアトル・レイン(現OLレイン)に加入。身長168センチ。

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著者プロフィール

1967年、京都府生まれ。法政大学を卒業後、ファッション誌の編集者を経て、『サッカーダイジェスト』編集部へ。その後、94年創刊の『ワールドサッカーダイジェスト』の立ち上げメンバーとなり、2000年から約10年にわたって同誌の編集長を務める。『サッカーダイジェスト』、NBA専門誌『ダンクシュート』の編集長などを歴任し、17年に独立。現在はサッカーを中心にスポーツライター/編集者として活動中だ。

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