柴崎岳が中学・高校生たちに伝えたいこと コロナ禍でサッカーとどう向き合うか

安藤隆人

自分の言葉にして伝えることが大事

中学時代から取材される機会が多く、正直煙たい時期もあったという。しかし、その経験から自分の思っていることを言葉にして伝えらるようになった 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

――柴崎選手は中学時代から取材される機会は多かったと思います。それはどう受け止めていたのでしょうか?

 当時は正直煙たく、「ちょっと過剰なんじゃないか」と思っていた時もありましたが、むしろそういう取材を受けることで鍛えられている部分もありました。自分が口達者だとは思ってはいませんが、ある程度は自分の思っていることを言葉にして伝えられている実感があるのは、そういった育成年代での経験があったからこそだと思っていますし、純粋にそういう子供が増えればいいなと思います。

 軸として自分が主体性を持っていて、その上で意見を言えるか。自分の思っていることをきちんと自分の言葉にして伝えると言うスキルはサッカーだけに限らず、社会で生きていく上で大事なことだと思います。

――今回のコロナ禍で感じるのは子供、大人関係なく個々の主体性が問われているのではないかということです。自粛や制限がある状況下だからこそ、その人が培ってきた主体性が大事になってきます。

 ある種、それは必然だと思います。日本の教育がみんなこっちを向いて始めよう、というところがある。その教育をずっと受けていると主体性が欠けてしまう人がいても仕方がないと思う部分もあります。

 僕個人としてはもちろん国とか自治体のトップの人が禁止と言っていることがあればやらないですが、ある程度その人の意思に任せますと言うことであれば、自分で何が良くて何が悪いか、これにはどんなリスクがあるのかなどを考えて判断しながら行動すれば良いと思っています。それはサッカーでも一緒で、制限がある中でどう考えてどう動くか、ですから。
――個人間で主体性がそのまま差となって顕著に現れているように感じます。柴崎選手もスペインで外出禁止命令や自粛期間があった中で、どのように捉えて行動をしていたのでしょうか?

 試合はいずれやってくると思っていましたが、いつになるかは不透明でした。しかし、試合に備えると言うことに変わりはなく、重要なのはコンディションを整えること。アップダウンを考えながら、どうすれば試合を想定したトレーニングに取り組めるかも考えていました。

 あと、サッカー選手というより1人の人間として、こうした状況にどう向き合っていくかと言う観点で、いい勉強にもなりました。何が必要で何が不要なのかも少し発見することができたのでいい時間でした。ただ、軸にはサッカーを置いて行動することを意識しました。

――改めて、中学生や高校生の大会が次々と中止、延期になっているニュースを聞いた時はどう感じられましたか?

 まずインターハイ中止を聞いた時に、(新型コロナウイルスの感染拡大が)そこまでの大きな影響を及ぼしているのかと、事の重大さを感じました。今まで経験したことが無い状況に対して、いろんな子供たちの目標が遮られてしまうかも知れない現実とどう向き合っていくか。誰も経験をしたことがない状況なので、明確な答えがあるとは思いませんが、その中で最善の解決策をみんなで練っていくかが大事になります。

 さっきも言ったように子供たちに大人が機会を与えることをどんどんやるべきだと思います。その上でどういう選択をするのかは、人生の話にもなると思いますが、周りが決めることではなく、個人が決めるべきこと。プロを諦めて違う道を進む、もしくは諦めない道を進むなど、どういう将来を進むべきかは個人に委ねられる部分。それを含めて自分の人生をどのように決めていくか。僕が「こうした方がいい」と言える立場ではないからこそ、いかに自分が納得をしてその道を選んでいけるかに尽きると思います。

大会が中止になったりで、ネガティブな気持ちになることはある。しかし、それが全てではないというところを大事にして欲しいと語った 【スポーツナビ】

――例えば今、高校生たちに「選手権がある」ということを無責任に言えないし、原稿にも書けません。甲子園でも春が中止になったときに「夏がある」という風潮があった。でも結果として夏も中止になってしまった。そうなったときに選手たちのメンタリティーはどうなるか。今しのげば選手権があると信じたいし、信じる気持ちは分かりますが、心のよりどころにしすぎてもいけません。

 僕自身も、もしかしたら思い描いていたW杯を戦えないとか、思い描いていたW杯予選ではなくなるかもしれない。状況によっては、大会(W杯予選、W杯)がなくなることもあり得ると思っている。ただ、僕が言えるのは、1つの出来事とかイベントが無くなることで何かが大きく崩れるのは、ある種ささいなことなのかも知れないということ。むしろその奥にある物事を見つめていけばいいのではないかと思います。

 こんなことを言ってしまっては何ですが、『数ある大会の1つ』と思えば、選手権をプレーできなかったことで見つけた価値観を使って、後の人生をどう過ごしていくかを考えることができる。もしかすると出ることよりも価値のあることになるかも知れないですし、そうすることが出来るのも全て自分次第であると思います。もちろん「選手権に懸けてこれまでやってきたんだ」という思いも理解できますが、(もしなくなってしまったら)沈むだけ沈んで、あとは上がっていけばいいと思います。

 その上がっていくプロセスを忘れなければ、落ち込んでもいいですし、ネガティブな気持ちになってもいい。ただ、それが全てではないというところを大事にして欲しくて、自分の進みたい人生、こうなりたいという人生に対して、それはささいなことかも知れないという心を少しでも持っておけば、今後につながって行くんではないかと思っています。もちろん歯がゆい気持ちはわかります。でも、選手たちにとっても、指導者たちにとっても、そういうこともあり得るという気持ちでいるべきだと思います。

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著者プロフィール

1978年2月9日生まれ、岐阜県出身。5年半勤めていた銀行を辞め単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は35を超える。2013年5月から2014年5月まで週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!』を1年連載。2015年12月からNumberWebで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。他多数媒体に寄稿し、全国の高校、大学で年10回近くの講演活動も行っている。本の著作・共同制作は12作、代表作は『走り続ける才能たち』(実業之日本社)、『15歳』、『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、『ムサシと武蔵』、『ドーハの歓喜』(4作とも徳間書店)。東海学生サッカーリーグ2部の名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター

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