模索続くソフトボール選手強化の現在地 五輪で上野由岐子の全試合登板構想も
1年延期にショック「全身の力が抜けた」
1年の延期で再構築された強化プラン、そして気になるエース上野(写真)の状態とは? 【写真は共同】
「東京五輪の延期を知った時、全身の力が抜けました。気持ちの切り替えができていないのが本音。悩むこともあります」
ソフトボールは東京五輪において「日本の金メダル」の最有力候補に挙げられる種目だ。また、“五輪連覇”という大きな夢もかかっている。
12年前、日本中が熱狂した夏があった。2008年の北京五輪でソフトボール日本代表は悲願だった金メダルを初めて獲得した。チームをけん引したのは世界の大エース・上野由岐子。なかでも決勝トーナメントの2日間、計3試合のマウンドを一人で投げ抜いた「上野の413球」は日本国民の琴線に触れた。あの熱投は今も語り継がれる伝説となっている。
しかし、その北京大会をもってソフトボールは五輪の正式競技から除外されてしまった。選手や関係者の落胆は言うまでもない。それでも、日本のソフトボールは世界最高峰のレベルを維持してきた。2012年、2014年の世界選手権では連覇を達成。ただ、2016年、2018年は最大のライバル国・アメリカに敗れて準優勝に終わっている。
そして東京五輪では、開催都市の提案による追加種目という形ではあるが、3大会ぶりに五輪競技への復活を果たしたのだった。
エース上野に全幅の信頼
エース・上野については「表情を見ただけで、その時の調子が分かります」と宇津木監督。調整は本人に任せているという 【写真は共同】
五輪延期のショックの大きさは当然だし、その衝撃度は我々の想像をはるかに超えたものだろう。しかし、ずっと立ち止まってはいるわけにはいかない。宇津木監督は選手のケアにも努めた。代表チームとしての活動は現在も行えないままだが、協会を通じるなどして選手たちの各所属チームの状況はしっかりと把握している。
そして、あの北京五輪では26歳で世界の頂点に立った上野は、38歳になるこの2020年の現在もなお日本のエースとして君臨している。
東京五輪は本来ならば、7月24日に新国立競技場で開会式が行われるはずで、ソフトボールはそれに先駆けて7月22日に福島県・あづま球場で開幕戦を迎えることになっていた。偶然にもエース上野の誕生日と重なっていた。まるで五輪の神様が後押ししているようにも思えた。
ベテランにとって1年延期はあまりに長い。しかし、宇津木監督の彼女に対する全幅の信頼は何ら変わらない。
「皆さんは彼女の年齢を心配します。だけど、私は心配していません。彼女の持つ筋肉は普通の人とは違います。スポーツをやるために生まれたような体です。今はあえて状態を落としていますが、それでも私が止めるくらい動きすぎる。技術も体ももちろん一流ですし、彼女には一流の心が備わっています。自己管理についてもすべて任せています。私が彼女に言うのは『もうそれくらいに』と止めるときだけ(笑)」
二人の付き合いは長い。上野が高校を卒業して、実家の福岡を離れて群馬・高崎の社会人チームに所属してから、ずっと互いは近くで過ごしてきた。上野が「親と変わらぬ信頼感」と言えば、宇津木監督も「会った瞬間に表情を見ただけで、その時の調子が分かります」と笑う。
東京五輪には日本を含めた6カ国が出場。総当たりの予選リーグを戦った後に、決勝・3位決定戦のメダルラウンドが行われる。最大で6試合に臨むことになるが、宇津木監督は「全試合で上野が投げる」との構想も描いている。世界のトップ6が集結するハイレベルな戦いのうえに、1試合でも落とせば致命的になる。上野もまた「そのつもりで準備をします」と覚悟を決めている。