突然の引退劇から5年後に現役復帰 新谷仁美が見せる“前例のない”快進撃

酒井政人
 故障が原因で、25歳で一度は現役生活にピリオドを打った新谷仁美。オフィスでデスクワークを行う日々に抱いた「もう一度走りたい」という思いから、約5年のブランクを経て2018年に復帰を遂げた。今年、14年振りにハーフマラソンの日本記録を更新するなど、快進撃を続けている。

 そんな新谷が歩んできた復活への道のりと、新型コロナウイルス感染拡大の影響で開催が来夏に延期となった、東京五輪に抱く思いを聞いた。

世界陸上5位から突然の引退……その理由とは

昨年は世界陸上にも6年ぶりに出場。入賞には届かなかったが、健在ぶりを見せつけた 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

──新谷仁美選手は2013年8月に開催されたモスクワ世界選手権の女子1万メートルで5位入賞を果たした後、表舞台に姿を見せることなく、翌14年1月に現役引退を表明しました。改めて、引退した理由を教えてください。

 一番の理由は右かかとの足底筋膜炎が完治しなかったことです。医師からは、「手術をしても、治るかどうかは五分五分。完治したとしても、リハビリを含めると1年間は走ることができない」と言われました。当時も今も、陸上競技は私にとって“仕事”なので、1年間も商品価値がなくなるということは、モチベーションにも影響します。やはり走って結果を出してこそプロのアスリートだと思うので、どんな理由があっても休みたくなかったんです。

 さらに、当時の私は25歳だったので、そろそろ次の道に進んでもいいのかなという気持ちもありました。陸上以外の世界を知らなかったので、どのようなものか興味があったんです。

──モスクワ世界選手権の1万メートルは3,500メートル付近で先頭に立つと、残り500メートル付近までトップを走り続けました。メダルには届きませんでしたが、自己ベストの30分56秒70(日本歴代3位)で5位入賞。完全燃焼したという気持ちがあったんですか? それとも悔しい気持ちを抱いたままシューズを脱ぐことになったんですか?

 私の中でモスクワ世界選手権を最後にしようと思っていたんですが、振り返ってみると悔しさだけが残った大会でした。ラスト1周まで目標にしていたメダルに手が届くところにいたわけですから。完全燃焼したという感覚はなかったです。

──引退後はオフィスで働いていたそうですね。具体的にどのような仕事をしていましたか?

 主に事務処理などのデスクワークです。エクセルやパワーポイントを使っての仕事が苦手で。これまで全くやってこなかったことなので、同僚の数倍時間がかかってしまいました。普通にやっていれば、定時で終わる仕事量なんですよ。けど、私がやると残業になっちゃう(笑)。迷惑な社員だったと思います。

――オフの日はどのように過ごしていましたか? ランニングは続けましたか?

 金曜日の帰宅が遅くなりがちだったので、土曜日はもやもやした感じで、食べては寝ての繰り返し。そのせいで13キロ近く太ってしまいました。ランニングはもう全然やらなかったですね。走るのはしんどくて。夏にビキニを着たくて、ダイエット目的で腹筋を300回くらいやっていた時期はあるんですけど(笑)。

──競技から離れた後も、いくつかのチームから声をかけられたと伺いました。そして17年夏にNIKE TOKYO TCと契約を結びます。どのような心境の変化があったんですか?

 率直に言うと“おいしい話”だと思ったんです。オフィスで働いていた3年半は全くトレーニングをしていなかったんですが、過去の実績で契約を決めてもらえました。実は「やっぱり陸上の方がいいな」という思いは引退後、終始抱いていました。苦手なエクセルやパワーポイントと違って、陸上はやり方を知っています。オフィスでプレゼン資料を作るよりも、陸上で日本のトップレベルの力に戻す方が楽なんじゃないかと思ったんです。

6年ぶりに世界選手権出場も「申し訳ない気持ち」

2013年にモスクワで行われた世界選手権では5位。惜しくもメダルに届かず、レース後には号泣した 【写真:ロイター/アフロ】

──現役に復帰して久しぶりの練習は、どうでしたか?

 まずはジョグから始めました。でも、オフィスで働いていていた期間に運動をしてこなかったせいか、すぐに恥骨を骨折してしまって。結局、17年はほとんど何もできず、18年1月から本格的に再開しました。

──約5年間のブランクを経て、18年6月の日体大長距離競技会3000メートル(9分20秒74)でレースに復帰すると、同年12月に1万メートルでドーハ世界選手権の参加標準記録(31分50秒00)を突破。そして、昨年のドーハ世界選手権では1万メートルに出場して、11位(31分12秒99)という結果を残しました。

 プロランナーとしては、契約企業が考えていることをまずはクリアしないといけません。私が契約したナイキは、世界大会に出場すること以上のものを求めています。それができる選手だと思われているからこそ、報酬をもらえる。ドーハ世界選手権では入賞することもできず、申し訳ない気持ちでした。

――レースに復帰してわずか1年3カ月であることを考えると、ドーハ世界選手権で11位になったことは順調のように感じますが、走れる感覚が戻ってきたのはいつ頃ですか?

 19年の冬頃ですね。それまでは、過去に走れていたときのような感覚はありませんでした。

──ドーハ世界選手権で1万メートルを制したシファン・ハッサン(オランダ)は、1500メートルでも3分51秒95の大会新で完勝。陸上界の勢力図は6年前と大きく変わりました。

 13年の世界選手権の1万メートルには長距離の選手が集まっていましたが、今は中距離の選手が5000メートルや1万メートル、ハーフにも出場しています。昔よりも、自分を追い込んでいかなきゃいけないと思いました。

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著者プロフィール

1977年愛知県生まれ。東農大1年時に箱根駅伝10区に出場。陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』やビジネス媒体など様々なメディアで執筆中。『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)など著書多数。

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