駅伝を通じて「心を作る」――東洋大・酒井監督が目指す育成とは?
まえがき
各選手の状態やペースを見ながら声掛けをする東洋大・酒井監督 【写真:松本健太郎】
箱根駅伝で勝つことは目標ですが、それがすべてではなく、人生の過程で考えればさほど大きなことではありません。チームも個人も、優勝を目指すことによって一歩ずつ成長していくのだと思います。
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しかし、決して強豪校ではありませんでした。1960年に3位に入っているものの、たいていは10位前後。私が在籍していた1990年代もそうでした。
そこに、日本体育大から実業団の旭化成で活躍し、2000年シドニー五輪マラソン代表の川嶋伸次さんが2002年に監督となり、環境整備と改革が進み、上位を狙えるチームに転じていきました。
やがて、2009年の85回大会で「新・山の神」と呼ばれた柏原竜二を擁して初優勝。実に67度目の挑戦で勝ち取った、箱根駅伝で史上最も遅い優勝でしたが、これまでに優勝4度、11年連続で3位以内に入り、常に頂点を目指すチームに成長を遂げました。
学生時代にケガが多く、貧血に悩まされていた自分が、母校の監督になるとはまったく思っていませんでした。
1999年に東洋大学を卒業した私は、コニカ(現・コニカミノルタ)に入社しました。6年間、実業団で競技を続けた後、2005年春に母校の学法石川高校(福島)に社会科の教諭として着任し、陸上競技部の顧問に就きました。4年目を迎え、部活動の指導もようやく軌道に乗りかけたころ、まさかの知らせが飛び込んできました。