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怯まず前へ
駅伝を通じて「心を作る」――
東洋大・酒井監督が目指す育成とは?

まえがき

各選手の状態やペースを見ながら声掛けをする東洋大・酒井監督
各選手の状態やペースを見ながら声掛けをする東洋大・酒井監督【写真:松本健太郎】

 箱根駅伝は毎年、違うメンバーで準備して戦います。スタートラインに立つまでに、さまざまなことを乗り越えなくてはなりません。その高い壁を乗り越えられたときに、最高の準備ができたといえます。


 箱根駅伝で勝つことは目標ですが、それがすべてではなく、人生の過程で考えればさほど大きなことではありません。チームも個人も、優勝を目指すことによって一歩ずつ成長していくのだと思います。

 東洋大学(以下、東洋大)陸上競技部は1927年に創部し、90年以上が経ちました。箱根駅伝には1933年の14回大会から、戦争による中断や予選落ちによる不出場を除いて78度出場しています。出場回数では、中央大、早稲田大、日大、法政大に続く伝統校です。


 しかし、決して強豪校ではありませんでした。1960年に3位に入っているものの、たいていは10位前後。私が在籍していた1990年代もそうでした。


 そこに、日本体育大から実業団の旭化成で活躍し、2000年シドニー五輪マラソン代表の川嶋伸次さんが2002年に監督となり、環境整備と改革が進み、上位を狙えるチームに転じていきました。


 やがて、2009年の85回大会で「新・山の神」と呼ばれた柏原竜二を擁して初優勝。実に67度目の挑戦で勝ち取った、箱根駅伝で史上最も遅い優勝でしたが、これまでに優勝4度、11年連続で3位以内に入り、常に頂点を目指すチームに成長を遂げました。


 学生時代にケガが多く、貧血に悩まされていた自分が、母校の監督になるとはまったく思っていませんでした。


 1999年に東洋大学を卒業した私は、コニカ(現・コニカミノルタ)に入社しました。6年間、実業団で競技を続けた後、2005年春に母校の学法石川高校(福島)に社会科の教諭として着任し、陸上競技部の顧問に就きました。4年目を迎え、部活動の指導もようやく軌道に乗りかけたころ、まさかの知らせが飛び込んできました。

酒井俊幸

1976年福島県生まれ。学校法人石川高等学校卒業後、東洋大学に入学。大学時代には、1年時から箱根駅伝に3回出場。大学卒業後、コニカ(現・コニカミノルタ)に入社。全日本実業団駅伝3連覇のメンバーとして貢献。選手引退後は、母校である学校法人石川高等学校で教鞭をとりながら、同校の陸上部顧問を務めた。2009年より東洋大学陸上競技部長距離部門の監督(現職)に就任。就任1年目でチームを優勝に導くという快挙を達成、箱根駅伝では、優勝3回、準優勝5回、3位2回という成績を達成。

スポナビDo

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