連載:REVIVE 中村憲剛、復活への道

手術を終えてリハビリを開始 入院生活でも際立った中村憲剛の能力

原田大輔

歩けることがうれしかった

リハビリ初日、中村は松葉杖を使いながらだが早くも歩く訓練を始めた 【本人提供】

 週が明けた11月25日から、本格的なリハビリがスタートした。最初は膝を曲げ伸ばしするだけのところから始めた。

「10分を2セットやるんですけど、やり始めたら、結構、早い段階で、膝が動いているって感じたんです。それもあって、ちょっとテンションが上がった。曲がらないわけじゃないんだなって。それで、その日は目標としていたところまで、踵(かかと)が動いたから、それで一気に感情がブワーってなりました。前日、眠れないくらい不安だったものが、膝を曲げ伸ばしただけで拭い去られたんです。おかげで、その日は前日よりは眠れました(苦笑)」

 松葉杖を使ってだが、リハビリを開始したその日には歩くこともできた。

「最初はめちゃめちゃ怖かったですけどね。どこまで左足に重心をかけていいのか分からなくて。『足を地面についてもいいんですか?』って聞いて、おそるおそる足を着くくらい。正確に言うと、膝に力が入らないというのではなく、入れるのが怖いという感覚だった。力を入れるのが怖いから、足がずっとこうなっちゃうんですよ」

 そう言って、中村は左足を軽く曲げて浮かせてみせた。リハビリは膝の曲げ伸ばしを基本に、徐々にメニューや種目が増えていった。2本だった松葉杖は、1本になり、やがて使わずに歩けるようになった。

「歩けるようになったときが一番うれしかったですね。うれしかったというより、楽しかった。こんなにも歩くことが楽しいんだって思ったから、思わずTwitterでツイートしてしまったくらい。思いがあふれすぎて(笑)。でも、あれはみんなに伝えたかった」

 術後6日目となる19年11月28日に更新したSNSにはこうつづっていた。

『まさか自分の人生において、歩くことがこんなにも楽しいと思える日が来るなんて夢にも思わなかった』

 文末には涙を流す絵文字で締められていた。中村の話を直接聞いて、抱いた感動をうまく表現しているなと思った。

「普通はそんな気持ちは湧かないじゃないですか。誰しもが何もなければ当たり前のようにできることですから。顎を骨折したときも、流動食の生活からご飯を初めて噛めたときの気持ちは、言葉にできないくらいうれしいものでした。でも、食べられるようになったら、すぐにその気持ちも薄れていってしまった。だから、歩けることの喜びもずっとは覚えていないかもしれない。でもそれ以上に、先に、前に進まなければいけないという思いが今は強い。でも、このときは、もう純粋に何周でもリハビリルームを歩きたいって思うくらいにうれしかったんですよ(笑)」

 リハビリを続ける中で、中村にはもうひとつ、小さな、ともすれば大きな目標があった。それは自分のホームとも言える等々力陸上競技場に行くことだった。

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中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ。東京都小平市出身。川崎フロンターレ所属。MF/背番号14。175センチ/66キロ。川崎一筋でプレーし、2020年で在籍18年目を迎える。中央大学を卒業した03年に当時J2だった川崎に加入。ゲームメーカーとして台頭すると、クラブの成長をともに歩む。16年にはJリーグ最優秀選手賞(MVP)に輝き、17年にはJ1初優勝、18年にはJ1連覇を達成。19年はルヴァンカップ優勝に貢献するも、11月2日、J1第30節のサンフレッチェ広島戦で負傷。左膝前十字靭帯損傷のケガを負い、現在、復帰に向けてリハビリに励んでいる。

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著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ、書籍・雑誌の編集・執筆を行っている。ぴあ刊行の『FOOTBALL PEOPLE』シリーズやTAC出版刊行の『ワールドカップ観戦ガイド完全版』などを監修。Jリーグの取材も精力的に行っており、各クラブのオフィシャルメディアをはじめ、さまざまな媒体に記事を寄稿している。

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