Jリーグを変えるデジタルマーケティング 「toC戦略」のキーマンに聞く

宇都宮徹壱

プラットフォームという武器をどう活用するのか?

顧客からファンへ。濱本氏は観戦体験を向上させ、「3回目の壁」を超えることの重要性を説く 【(C)J.LEAGUE】

 デジタルマーケティングを重視するJリーグが、笹田氏に続くデジタル分野での強力な補強として迎えたのが、冒頭に登場した濱本氏である。18年8月よりSAPから出向中。SAPは、14年のワールドカップ・ブラジル大会でドイツ代表が優勝した際、データ分析において強力なサポートをしたことで知られるIT企業である。デジタル分野におけるJリーグの第一印象について、実は濱本氏は「けっこう進んでるな」と好意的であった。

「あの当時、立ち上がったばかりのBリーグの方が、デジタルとかアプリで先行しているというイメージがあったと思うんですよ。でも実際に来てみると、実は立派なプラットフォームがすでにできていたんですよね。つまり武器は持っていたわけで、それをどう活用するのか、というフェーズに入っていたんです」

 もっとも、実際にその武器を使うのはJリーグではなく、各クラブのチケッティングやECの担当者。彼らが使いこなせないようでは、プラットフォームは宝の持ち腐れである。そこで濱本氏がJリーグに出向してくる半年前から、笹田氏が主導する形で各クラブの担当者を集めての研修会が行われた。その理由について笹田氏は「実はこれ、NBAでもやっていたことなんです」と明かした上で、こう続ける。

「これまではリーグとクラブ、あるいはクラブ間でのコミュニケーションが不足していたと思うんですよ。クラブスタッフの場合、マルチタスクで孤立しがちな側面もある。ですから安心感や仲間づくりという意味でも、まずは一緒の場に集まってもらって、ちょっとウェットですが懇親会もやっています。そうやって信頼関係ができたところで、初めて専門家である濱本を登場させました。今後はわれわれのノウハウを他の領域にも横展開していくことも考えています」

 かくして、信頼関係が醸成されたところで濱本氏の登場となったわけだが、ここで「55クラブ(当時の)のスキルの差が大きすぎる」という新たな課題にぶつかる。そこでレベル別に「ビギナー」「ベーシック」「アドバンス」に分けての指導が行われることになった。一見するとグッドアイデアだが、その分、濱本氏の負担が増えたことは言うまでもない。そこで新たな助っ人として迎えられたのが、デロイト トーマツの森松氏であった。

「2030年にはJ1リーグのすべての試合を満員にする」

30年に目標達成なるか。デジタルマーケティングを駆使した「toC戦略」に今後も注目したい 【宇都宮徹壱】

「マーケティングの主な業務はCRM(顧客管理)です。その一環で、昨年より『SAP Qualtrics』というCX(顧客体験)管理ツールを採用し、体験価値向上に向けた取り組みを開始しましたが、当初はアンケートの設定から分析まで私ひとりでやっていました。今年からはJ1クラブすべてでアンケートを実施して分析していく予定なので一人でやるのは到底無理だなと思っていたんです。そこでCXのエキスパートである森松さんが加わってくれて、とても助かりました。森松さんはFC今治でのCX調査の実績もあるので、最初から具体的な話がガンガンできています(笑)」

Jリーグでは昨年からCX管理ツールを導入。観戦者の満足度、不満ポイントなどを可視化し、観戦価値向上に役立てる 【(C)J.LEAGUE】

 うれしそうにそう語る濱本氏。一方の森松氏も「僕はスポーツ畑ではなく、あくまでもCXの専門。ですのでSAP出身の濱本さんとは、ツールではなくビジネスの話ができるのはありがたいです」。そんな2人の意気投合ぶりに、笹田氏は「JリーグにCRMとCXのスペシャリストが来てくれた。これこそが人材のオープンイノベーションであり、その時、その時のフェーズでベストの人材を集められるのはスポーツならではでしょうね」と指摘する。スタジアムから離れたJリーグのオフィスでは、さまざまな興味深いことが進行している。

 それにしても、なぜ濱本氏は「自分でチケットを買って、3回以上来場していたらファン」と定義したのだろうか。そろそろご本人に種明かしをしてもらうことにしよう。

「昨年のJリーグは、のべ1,100万人もの入場者数を記録しました。以前であれば、『どんなお客さんが来ているのか?』分からなかったのですが、今はJリーグIDから顧客の可視化が可能になりました。そこから見えてくるのは、初めてJリーグを観戦した人のうち3回目の壁を超えると、リピーターになってくれる確率が高まるということなんですね。僕が『3回以上来場していたらファン』と定義したのは、そういう根拠からなんです」

 Jリーグが掲げている「2030年ビジョン」では、集客面に関して「2030年にはJ1リーグのすべての試合を満員にする」という明確な目標がある。デジタルマーケティングを駆使した「toC戦略」は、その遠大な目標達成のための重要な切り札だ(濱本氏によれば、リーグとクラブが一体になってデジタルに取り組んでいるのは「世界的に見ても珍しい」そうだ)。残念ながらJリーグは「中断」に入ってしまったが、いずれスタジアムに歓声が戻ってくることだろう。そしてそれは、Jリーグの「toC戦略」が、本格的に再開される瞬間でもある。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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