青森山田・武田英寿が振り返る紆余曲折 選手権は「一番長く戦って優勝したい」
浦和レッズに内定している青森山田の武田英寿(写真)に選手権に向けた思いを語ってもらった 【松尾祐希】
今年も日本サッカー界の将来を担う逸材たちが冬の檜舞台に挑む中で、注目を集めるのが昨年度の王者・青森山田の武田英寿だ。来季の浦和レッズ入団が内定しており、11月にはU-18日本代表としてAFC U-19選手権予選に出場。今大会はU-17ワールドカップで活躍した西川潤(桐光学園、セレッソ大阪入団内定)や若月大和(桐生第一、湘南ベルマーレ入団内定)が出場権を逃し、U-18日本代表の染野唯月(尚志、鹿島アントラーズ入団内定)が負傷欠場となっただけに、世代をけん引するプレーメーカーには大きな期待がかかる。
王者・青森山田の10番でキャプテンを務める武田は、さまざまな重圧をポジティブに受け止めながら、チームのためにこの1年を戦ってきた。選手権に挑むまでにいかなる道を辿ってきたのか。そして、最後の大会を前に何を思うのか。大会の主役候補でもあるレフティーが胸の内を明かしてくれた。(取材日:12月24日)
「英寿」という名前は中田英寿さんから
名前の由来は中田英寿さん。父の影響でサッカーを始め、ベガルタ仙台のスクールに通い始めたという 【松尾祐希】
そうですね(笑)。小学校の時に名前の由来を発表する場があり、その前から理由は知っていたのですが、そこで初めて親から聞いてちゃんと知りました。
――ご両親がサッカーを好きだったのでしょうか?
そうですね。父親が部活でサッカーをやっていたので、中学校ぐらいまでは父から連絡がきて、結構アドバイスをしてくれていました。高校になってからは自分の方がサッカーを分かるようになったので、来なくなりましたけど(笑)。
――サッカーを始めたのもお父さんの影響ですか?
はい。4歳で地元にあるソニー仙台のスクールに通い始めました。そこに通い始めたのも自然な流れで、小学校3年生からはベガルタ仙台のスクールに通っていました。
――ベガルタ仙台のスクールに入団した理由は?
自分で受けに行ったのですが、高いレベルでサッカーをやりたかったんです。でも、もう1つ理由がありました。進路を決める前のタイミングで、県大会の模様がテレビで中継されていたのですが、自分もテレビに映りたくて(笑)。「テレビに出たい」と親に伝えたら、「ベガルタを受けに行くしかないね」と背中を押してくれました。
――ただ、小学校の5年生の秋には地元に戻りました。
当時のベガルタは組織的なサッカーをやっていた中で、自分はもともとドリブルを使って個人で仕掛けるプレーを好んでいました。でも、ベガルタではパス主体のプレーが多くなりました。そういうところもあって、親が「このままでいいのか」と言ってくれて、そこから自分でも考えて地元に戻ろうと決めました。
――そこから小学校を卒業し、青森山田中学校に進学しました。
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