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青森山田・武田英寿が振り返る紆余曲折
選手権は「一番長く戦って優勝したい」

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浦和レッズに内定している青森山田の武田英寿(写真)に選手権に向けた思いを語ってもらった
浦和レッズに内定している青森山田の武田英寿(写真)に選手権に向けた思いを語ってもらった【松尾祐希】

 12月30日に開幕した令和最初の高校サッカー選手権。平成を振り返ると、多くの選手が活躍して後の飛躍につなげている。中村俊輔(桐光学園、現横浜FC)、大久保嘉人(国見、ジュビロ磐田退団)、大迫勇也(鹿児島城西、現ブレーメン/ドイツ)、柴崎岳(青森山田、現デポルディボ・ラコルーニャ/スペイン)など、その名を挙げれば枚挙にいとまがない。


 今年も日本サッカー界の将来を担う逸材たちが冬の檜舞台に挑む中で、注目を集めるのが昨年度の王者・青森山田の武田英寿だ。来季の浦和レッズ入団が内定しており、11月にはU-18日本代表としてAFC U-19選手権予選に出場。今大会はU-17ワールドカップで活躍した西川潤(桐光学園、セレッソ大阪入団内定)や若月大和(桐生第一、湘南ベルマーレ入団内定)が出場権を逃し、U-18日本代表の染野唯月(尚志、鹿島アントラーズ入団内定)が負傷欠場となっただけに、世代をけん引するプレーメーカーには大きな期待がかかる。


 王者・青森山田の10番でキャプテンを務める武田は、さまざまな重圧をポジティブに受け止めながら、チームのためにこの1年を戦ってきた。選手権に挑むまでにいかなる道を辿ってきたのか。そして、最後の大会を前に何を思うのか。大会の主役候補でもあるレフティーが胸の内を明かしてくれた。(取材日:12月24日)

「英寿」という名前は中田英寿さんから

名前の由来は中田英寿さん。父の影響でサッカーを始め、ベガルタ仙台のスクールに通い始めたという
名前の由来は中田英寿さん。父の影響でサッカーを始め、ベガルタ仙台のスクールに通い始めたという【松尾祐希】

――まず、最初に聞きたいのは名前の由来です。中田英寿と武田英寿。日本サッカー界に名を残した司令塔と名前が一文字違いですね。やはり、名前は中田さんにあやかっているのでしょうか?


 そうですね(笑)。小学校の時に名前の由来を発表する場があり、その前から理由は知っていたのですが、そこで初めて親から聞いてちゃんと知りました。


――ご両親がサッカーを好きだったのでしょうか?


 そうですね。父親が部活でサッカーをやっていたので、中学校ぐらいまでは父から連絡がきて、結構アドバイスをしてくれていました。高校になってからは自分の方がサッカーを分かるようになったので、来なくなりましたけど(笑)。


――サッカーを始めたのもお父さんの影響ですか?


 はい。4歳で地元にあるソニー仙台のスクールに通い始めました。そこに通い始めたのも自然な流れで、小学校3年生からはベガルタ仙台のスクールに通っていました。


――ベガルタ仙台のスクールに入団した理由は?


 自分で受けに行ったのですが、高いレベルでサッカーをやりたかったんです。でも、もう1つ理由がありました。進路を決める前のタイミングで、県大会の模様がテレビで中継されていたのですが、自分もテレビに映りたくて(笑)。「テレビに出たい」と親に伝えたら、「ベガルタを受けに行くしかないね」と背中を押してくれました。


――ただ、小学校の5年生の秋には地元に戻りました。


 当時のベガルタは組織的なサッカーをやっていた中で、自分はもともとドリブルを使って個人で仕掛けるプレーを好んでいました。でも、ベガルタではパス主体のプレーが多くなりました。そういうところもあって、親が「このままでいいのか」と言ってくれて、そこから自分でも考えて地元に戻ろうと決めました。


――そこから小学校を卒業し、青森山田中学校に進学しました。

松尾祐希
松尾祐希

1987年、福岡県生まれ。幼稚園から中学までサッカー部に所属。その後、高校サッカーの名門東福岡高校へ進学するも、高校時代は書道部に在籍する。大学時代はADとしてラジオ局のアルバイトに勤しむ。卒業後はサッカー専門誌『エルゴラッソ』のジェフ千葉担当や『サッカーダイジェスト』の編集部に籍を置き、2019年6月からフリーランスに。現在は育成年代や世代別代表を中心に取材を続けている。

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