今永昇太、「戻れる場所」を見つけた昨秋 理想のフォームを模索し続けた1年間
“投げる哲学者”も投球は感覚派
“投げる哲学者”の異名を持つ今永。理路整然と、自身が不振に陥った原因を分析する姿は、とても印象的だった 【スリーライト】
「木塚(敦志)コーチには秋季キャンプ前から、“上と下が合っていない”ということで、ずっと個人練習に付き合っていただいていました。ボールを投げるのではなく、木塚コーチが転がしたボールを捕りながら、しっかり股を割って左足に体重を掛け、右足に(体重が)移っていく感覚を取り戻す。そのボール捕りだけで1時間。その後、フォーム確認で1時間。夜遅くまで、みんなが帰ったあとも付き合ってくださったので、本当に感謝しています」
奄美では、ファームの大家友和コーチにトレーニング方法から投球原理まで教わった。
「大家コーチには、まずウエイトの取り組み方や、ウエイトをしているときのフォームを見ていただきました。あとは、投球の原理ですね。大家コーチ、たとえを出して説明するのがとても上手なんです。たとえば、ピッチングは車を運転しているとき急ブレーキを踏むと、人がキュッと少し前に出るのと同じだ、と。つまり、足を着いたとき自分の足でブレーキをかけるから、自然と腕が前に走るということですね。そのイメージを、自分の体で表現すればいいんだな、と思いましたね」
試合後のコメントひとつとっても独特な表現力にあふれ、「投げる哲学者」の異名を持つ今永。しかし意外にも、ピッチングに関してはこれまで“感覚派”だったという。
「僕は感覚で投げて、“こんな感じか”というタイプで、あまり頭で考えていなかったんです。考えたことのなかった人間が考え始めたから、余計泥沼にハマってしまった部分も去年はあったと思います。でも、そこからもう一度、最初からピッチングについて考え直すことができた。『戻れる場所』を作ることができたんです。それは本当に良かったですよ。今でも調子が良くないと感じたら、自分で壁当てをしてボールを捕ったり、キャッチボールの前にも足でリズムを踏んでみたり。試合以外、投球以外で戻れる場所が一つ、できました」
豪ウインターリーグで武者修行
「もちろん18年のふがいない成績は、ABL参加を決めた理由のひとつではあります。でも、それは小さな部分。ルーキーのころから、海外のウインターリーグには興味がありました。僕らは野球選手だからといって、野球だけやっていればいいわけではない。野球を終わったあとの人生のほうが、長いんです。僕から野球を取ったとき、人間としてゼロにはなりたくなかった。英語の勉強にもなるし、居心地のいい場所にばかりいるより、野球以外の苦労もしたほうが自分のプラスになることがあるんじゃないかと思いました」
キャンベラではチームメイトの三上朋也、国吉佑樹、青柳昴樹と共に、アパートメントスタイルのホテルで共同生活。買い出しから炊事、洗濯など、何もかも自分たちでこなした。野球がまだマイナースポーツである豪州では、球場の設備も遠征スケジュールも、NPBのファームより条件は悪い。加えて、言葉や文化の違いもあった。
「もちろん、キャバルリーの一員として投げるからには、チームを勝たせたい。チームの歯車の一つになりたいという気持ちはありました。でも豪州での結果の部分では、そこに重きは置いていませんでした。(日本の)シーズンが終わって、自分のできたこと、できなかったことを見直す場という位置付けですね。だから向こうでも秋季練習、秋季キャンプでやってきたことに信念を持ち、それを継続してやってきました」
(企画構成:株式会社スリーライト)
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