謎に包まれた森保ジャパンを『ゲームモデル』で読み解く

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「プレー原則=再現性」がない弊害

原則はあるものの、曖昧な部分も多いため強豪国との対戦では問題が顕在化してしまう 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 トランジションに限らず、攻撃や守備においても、ディテールに対して細かく原則や優先順位が設定されていない、あるいは判断が選手たちの瞬間の判断に委ねられていると感じる場面は多い。

 例えば、先に指摘した守備の準原則の中に、「ポジションチェンジに対してはマンツーマン気味についていく」というものがあった。この原則自体はさまざまなチームで導入されているものだが、誰か1人がマンツーマン気味についていくということは、その選手が埋めていたスペースが空くことを意味する。これに対して、他の選手がポジショニングを調整し、そのスペースを埋めるような構造が存在していれば問題はないが、日本代表の試合を見ているとそのような原則は見受けられない。

 具体的に言えば、セントラルMFの遠藤航がサイドへのフリーランニングについていった際に、サイドMFの堂安律や中島が絞るわけでも、FWの南野拓実が落ちるわけでもない。なので、もう片方のセントラルMFの柴崎岳周りのスペースが大きく空いてしまっている、というような場面が見られる。他にも、左サイドMFに原口が先発した試合では、相手SBの高めの位置取りに対してマンツーマン気味についてDFラインに吸収され、5バック化するシーンが多いのに対し、前残りする中島が先発した試合では、サイドのスペースを埋めるチームとしてのオーガナイズが見られず、中島の裏のスペースをそのまま相手に狙われるシーンがあったりと、出る選手によって守備組織の性質ややり方が大きく変化する傾向にある。

 対照的な例として、ロシアW杯のフランス代表は、一定のゲームモデルを掲げるチームではないという点は日本代表と類似しているが、守備時にサイドMFのキリアン・ムバッペをカウンターに備えて高い位置に置くため、センターFWのアントワーヌ・グリーズマンをサイドMFの位置に降ろすなどの再現性のある守備構造が見られた。

 このように、オーガナイズされた局面がまったくないわけではないのだが、ディテールに対する原則がはっきりと設定されていない、あるいは基準が曖昧な部分が非常に多く、そのような局面の解決手段が属人的、あるいは偶発的になされている印象が強い。また、攻撃時にトランジションの準備が十分になされていない、ボールの近くにコンパクトな陣形を作った際の外側のスペースに対する管理が曖昧、などの事象に代表されるように、特定の局面にのみオーガナイズが偏る傾向にあるため、部分最適はあっても全体最適はあまり存在せず、しばしば強豪国との対戦では問題として顕在化している印象だ(W杯のベルギー戦の最後の失点などはその典型だ)。

「文脈を伴うトレーニング」が必要

「戦術的に戦う」ことができるようになれば、日本代表の未来は間違いなく明るい 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 まとめると「攻撃」「守備」「攻→守の切り替え」「守→攻の切り替え」の4局面において、「攻撃」と「守備」に関しては暗黙のゲームモデルがある(この2局面に関してもディテールの詰めは個人の判断に委ねられ、起用される選手によって原則自体が変わっている部分もあるが……)。しかし、後者のトランジションに関わる2局面に関しては暗黙のゲームモデルすら存在していないように見えた。この状態でW杯ベスト16に入れているのは、日本代表のポテンシャルの高さを示してもいて、今の暗黙のゲームモデルをベースに足りない部分も含めてきちんと言語化してトレーニングに落とし込めれば、さらに上のレベルを狙えると感じている。

 とはいえ、筆者の考え方のベースになっている「戦術的ピリオダイゼーション」や、それに包含される「ゲームモデル」のような考え方は、あくまで無数にあるやり方のうちの1つでしかなく、絶対に正しいというわけでは決してない。むしろ、W杯やCLなどのトーナメントにおいては、フランス代表やレアル・マドリー、ユベントスなどのように、特定のゲームモデルに固執しない万能性を持ったチームが結果を出しやすい傾向にある。これはおそらく、トーナメントとリーグ戦とではゲームの性質が異なり、1敗で敗退が決まるトーナメントでは「対策する」という行動の方が「より有効」だからであろう。つまり、相手の対策を無効化できるチームが有利である、ということだ。

 一方、ジョゼップ・グアルディオラの監督キャリアのスタートを契機に、特定のゲームモデルを持つ・持たないにかかわらず、「サッカーの戦術化」は世界的に止まらないトレンドとしてこの10年間でサッカーというスポーツをまったく別の次元へと進めてしまった。チームとして共通認識を持ち、「いつ」「どこに」「誰が」いるのかをあらかじめ知っている状態でサッカーをしてくる一流のプレーヤー集団に対して、個人のアイデアと即興性だけで立ち向かうのは非常に困難になってしまった。特定のゲームモデルを持っていないとしても、各シチュエーションに対する戦術的な解決アクションを各選手・グループ・チームの単位で把握し、実行するのはもはや当たり前のことである。

 戦術的ピリオダイゼーションでは、トレーニングでの学習プロセスにおける「文脈」を非常に重視する。サッカーは非常に複雑な相互作用の連続であるため、選手たちにとってはピッチ上のすべての情報を把握することが不可能な「不完全情報ゲーム」である。よって、断片的な情報から次の行動を決断する必要があるため、前後の状況との相互作用である「文脈」が重要なのだ。

 例えば、同じ4対4を行うのでも、ビルドアップの局面なのか、崩しの局面なのか、関わる選手のポジションはどこなのかなどによって適切なアクションは大きく異なるので、トレーニングに適切な「文脈」を設定することで、トレーニングでの判断がそのままゲームでの判断にひもづけられ、判断の精度の向上につながるというわけだ。

 日本代表のトレーニングの詳細は分からないが、日本のチームでこのようなトレーニングを導入しているチームは多くない。スペインで言うところのグローバルトレーニング、すなわち「サッカーの要素を含むが、サッカーではない(ゴールがない、切り替えがない、ポジションがない)」トレーニングを非常に重視する傾向がある。これも非常に有効な練習なのは間違いないが、これだけではトレーニングでの判断と実際の試合での判断とのひもづけが不十分で、トレーニングでできていたことがゲームでできない、あるいは本記事で問題視しているように各シチュエーションのオーガナイズが不足する/個人の判断に依存するというような状況が起きやすい。

 トレーニングの方法論に絶対の正解はまだ発見されていないが、「戦術のトレーニング」といえば相手のいないシャドートレーニングがメインだったのは昔の話であり、選手の知的好奇心を刺激し、意欲的に取り組みながらも向上していけるようなトレーニングの方法論が発展し、知られてきているのは素晴らしいことである。年始のアジアカップで確信したが、純粋なスキルの観点で言えば、日本の選手たちのポテンシャルは世界の強豪にもまったく劣らないものを持っている。トレーニングを変え、選手や監督、ファンの意識を変え、「戦術的に戦う」ことができるようになれば、日本代表の未来は間違いなく明るい。

(文:山口遼/東大ア式蹴球部ヘッドコーチ)

※本記事(写真を除く)は『月刊フットボリスタ6月号』(ソル・メディア)からの転載です。

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