森保監督は準決勝にピークを設定したか イランに快勝し、「未知の7連戦」へ
「43年ぶりの決勝進出」というプレッシャー
「アジア最強」イランに3−0の完勝。日本は史上最多5度目の優勝まであと一歩に迫った 【Getty Images】
思えばイラン・サッカーの70年代は、まさに黄金時代そのものであった。アジアカップでは、68年、72年、そして76年と3連覇。さらに2年後の78年には、ワールドカップ(W杯)アルゼンチン大会に初出場を果たしている。当時のアジアの出場枠は1しかなかったから、この時までのイランは名実ともに「アジアナンバーワン」。それが暗転する契機となったのが、翌79年のイラン・イスラム革命である。革命後もアジアカップには出場していたイランだが、W杯予選では82年大会が辞退、86年大会が参加資格取り消し。3大会ぶりの参加となった90年大会は、最終予選にたどり着くことができなかった。
2013年よりFIFA(国際サッカー連盟)ランキングでアジア1位の座を守り続け、アジアでの公式戦では39戦無敗。日本代表の森保一監督をして「アジアのトップ(オブ)トップ」と言わしめるほどのイランだが、彼らが本当の意味で「アジアナンバーワン」だったのは、実のところ革命以前、王政時代の話だ。ゆえに悲願のアジアカップ優勝は、単にイランサッカー界で完結する話ではない。もちろん日本にも「王座奪還」のプレッシャーがあるものの、重圧の度合いはイランの比ではないだろう。
もうひとつ興味深い記録を提示しておきたい。最後にアジアカップを制して以降、イランは準決勝に5回進出して、いずれもあと一歩で敗れている。80年大会はクウェートに1−2、84年大会はサウジアラビアに1−1(PK戦4−5)、88年大会もサウジに0−1、さらに96年大会もサウジに0−0(PK戦3−4)、そして04年大会は中国に1−1(PK戦3−4)。サウジが天敵だったこともさることながら、PK戦で3回も涙をのんでいるのは意外であった。「PKに弱い代表チーム」といえば、まずイングランドが思い浮かぶが、イランもまたフットボールの母国に通じる心理面の脆さが見て取れる。
「7試合連続で戦う」という未体験ゾーン
冨安(左)をはじめDF陣は安定した守備を披露。イランのエースFWアズムン(中央)をシャットアウトした 【Getty Images】
6試合から7試合へ。「たった1試合」と思われるかもしれないが、日本にとって7試合連続で戦うことは、まさに未体験ゾーンである。ちなみにアジアで経験しているのは、02年W杯でベスト4に進出した韓国のみだが、3位決定戦に回っての7試合。今回のアジアカップには3決はないため、日本が未体験ゾーンに突入するにはイランを打ち倒すしかない。当然、森保監督も「7試合連続で戦う」ことを念頭に置きながら、この日のメンバーを決定したはずだ。
イラン戦のスターティングイレブンは以下の通り。GK権田修一。DFは右から、酒井宏樹、冨安健洋、吉田麻也、長友佑都。中盤はボランチに柴崎岳と遠藤航、右に堂安律、左に原口元気、トップ下に南野拓実。そしてワントップには大迫勇也。大方の予想通りではあるが、大迫が5試合ぶりにスタメンに名を連ねたのは感慨深い。対するイランは、出場停止のメフディ・タレミの代わりに11番のバヒド・アミリが入った以外は、準々決勝と同じメンバー。キャプテンのアシュカン・デヤガ、そしてここまで4得点のサルダル・アズムンといったおなじみの顔ぶれが並ぶ。
試合が始まると、日本は序盤から積極的に前に出て攻撃の形を作っていくものの、イランは余裕でこれを受け止める。逆に前半22分、権田から遠藤へのパスを奪われると、一気にペナルティーエリア内への侵入を許してしまう。最後はアズムンに吉田の股間を抜くシュートを打たれるも、権田が伸ばした左足に当たって難を逃れた。その後も日本は、たびたびヒヤリとする場面を作られながらも、前半は0−0で終了。グループステージのようなミスがまったく許されない、まさに昨年のW杯での戦いを思い出させる濃密な45分であった。