森保監督は準決勝にピークを設定したか イランに快勝し、「未知の7連戦」へ

宇都宮徹壱

「43年ぶりの決勝進出」というプレッシャー

「アジア最強」イランに3−0の完勝。日本は史上最多5度目の優勝まであと一歩に迫った 【Getty Images】

 アジアカップ24日目。大会はいよいよセミファイナルを迎える。アルアインでのイラン対日本の試合は18時キックオフ。「アジア最強」のイランとの対戦は、日本にとってまさに正念場の一戦である。しかしそれは、アジアカップ最多優勝国を迎え撃つイランにとっても同じこと。しかも彼らは、これに勝てば43年ぶりの決勝進出である。今から43年前の1976年といえば、まだ商業化する前の五輪がインスブルックとモントリオールで開催された年。元号でいえば昭和51年で、日本はロッキード事件で揺れていた時代である。

 思えばイラン・サッカーの70年代は、まさに黄金時代そのものであった。アジアカップでは、68年、72年、そして76年と3連覇。さらに2年後の78年には、ワールドカップ(W杯)アルゼンチン大会に初出場を果たしている。当時のアジアの出場枠は1しかなかったから、この時までのイランは名実ともに「アジアナンバーワン」。それが暗転する契機となったのが、翌79年のイラン・イスラム革命である。革命後もアジアカップには出場していたイランだが、W杯予選では82年大会が辞退、86年大会が参加資格取り消し。3大会ぶりの参加となった90年大会は、最終予選にたどり着くことができなかった。

 2013年よりFIFA(国際サッカー連盟)ランキングでアジア1位の座を守り続け、アジアでの公式戦では39戦無敗。日本代表の森保一監督をして「アジアのトップ(オブ)トップ」と言わしめるほどのイランだが、彼らが本当の意味で「アジアナンバーワン」だったのは、実のところ革命以前、王政時代の話だ。ゆえに悲願のアジアカップ優勝は、単にイランサッカー界で完結する話ではない。もちろん日本にも「王座奪還」のプレッシャーがあるものの、重圧の度合いはイランの比ではないだろう。

 もうひとつ興味深い記録を提示しておきたい。最後にアジアカップを制して以降、イランは準決勝に5回進出して、いずれもあと一歩で敗れている。80年大会はクウェートに1−2、84年大会はサウジアラビアに1−1(PK戦4−5)、88年大会もサウジに0−1、さらに96年大会もサウジに0−0(PK戦3−4)、そして04年大会は中国に1−1(PK戦3−4)。サウジが天敵だったこともさることながら、PK戦で3回も涙をのんでいるのは意外であった。「PKに弱い代表チーム」といえば、まずイングランドが思い浮かぶが、イランもまたフットボールの母国に通じる心理面の脆さが見て取れる。

「7試合連続で戦う」という未体験ゾーン

冨安(左)をはじめDF陣は安定した守備を披露。イランのエースFWアズムン(中央)をシャットアウトした 【Getty Images】

 そんなイランに挑む日本代表が、この準決勝でもうひとつ乗り越えなければならないのが「6試合目の壁」である。実は日本代表はその長い歴史において、ひとつの大会で6試合以上を戦った経験を持っていない。アジアカップではこれまでに3回、6試合連続で戦って優勝している日本(初優勝した92年大会は8チームの参加だったので5試合連続)。しかし今大会、出場国数が16から24に増加したことで、優勝するためにはW杯と同じく7試合を戦うことになる。

 6試合から7試合へ。「たった1試合」と思われるかもしれないが、日本にとって7試合連続で戦うことは、まさに未体験ゾーンである。ちなみにアジアで経験しているのは、02年W杯でベスト4に進出した韓国のみだが、3位決定戦に回っての7試合。今回のアジアカップには3決はないため、日本が未体験ゾーンに突入するにはイランを打ち倒すしかない。当然、森保監督も「7試合連続で戦う」ことを念頭に置きながら、この日のメンバーを決定したはずだ。

 イラン戦のスターティングイレブンは以下の通り。GK権田修一。DFは右から、酒井宏樹、冨安健洋、吉田麻也、長友佑都。中盤はボランチに柴崎岳と遠藤航、右に堂安律、左に原口元気、トップ下に南野拓実。そしてワントップには大迫勇也。大方の予想通りではあるが、大迫が5試合ぶりにスタメンに名を連ねたのは感慨深い。対するイランは、出場停止のメフディ・タレミの代わりに11番のバヒド・アミリが入った以外は、準々決勝と同じメンバー。キャプテンのアシュカン・デヤガ、そしてここまで4得点のサルダル・アズムンといったおなじみの顔ぶれが並ぶ。

 試合が始まると、日本は序盤から積極的に前に出て攻撃の形を作っていくものの、イランは余裕でこれを受け止める。逆に前半22分、権田から遠藤へのパスを奪われると、一気にペナルティーエリア内への侵入を許してしまう。最後はアズムンに吉田の股間を抜くシュートを打たれるも、権田が伸ばした左足に当たって難を逃れた。その後も日本は、たびたびヒヤリとする場面を作られながらも、前半は0−0で終了。グループステージのようなミスがまったく許されない、まさに昨年のW杯での戦いを思い出させる濃密な45分であった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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