連載:アスリートのビクトリーロード

宮原知子(フィギュアスケート)が語る金メダルへの道「前よりも力強く滑れている」

沢田聡子
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提供:味の素株式会社

ケガを機会に筋肉の使い方を勉強した

ケガをきっかけにトレーニングなども見直し、今では不安なく練習ができている 【写真:アフロスポーツ】

松田 そういう意味でも大きな転機になった昨季のケガ(左股関節疲労骨折)の話も伺っていこうと思います。平昌2018冬季オリンピックの約1年前で「本当にやばいんじゃないか」というタイミングでしたよね?

宮原 「しょうがないな、治すしかない」と思っていました。吹っ切れてというか、諦めがついてというか……。「悩んだところですぐ治るわけじゃないから」と思って。「絶対間に合わせる」と思ってリハビリをしていました。

松田 リハビリをすることで、体やトレーニングについても学びがあったんじゃないですか?

宮原 測定をして、ハムストリングやお尻の筋肉がまったく使えていないという弱いところも知ることができたし、これからどうしていかなくてはいけないかという勉強もできました。

松田 何か修正してスケーティング自体が変わったとか、そういうこともありましたか?

宮原 リハビリ明けで初めて氷に乗った時は全然ジャンプの練習ができなかったので、スケーティングばかり練習している中で「ひと押しで前よりも滑れるな」という感覚はありました。

松田 体作りは、今も継続してやっていますか?

宮原 後ろ側の筋肉も前よりは使えるようにはなったのですが、まだどうしても前ばかり使っちゃう癖があるので、今もそれを直しながらトレーニングしています。ジャンプは「自分の力で跳んでいる」という感覚が出てきました。今は、昨年に較べると何の不安もなく練習できているので、すごくうれしいです。

食事も見直し力強いジャンプに 身長も少し伸びる!?

食事の変化で力強いスケーティングを実感。また、身長もまだ少しずつ伸びているようだ 【Getty Images】

松田 ケガのタイミングで食事も見直したと聞いていますが、実際ケガをする前と後で、食事はどう変えたのでしょうか?

宮原 ケガをする前は、朝ご飯は普通に食べて、昼はおにぎり1個、夜にガッツリ食べるというパターンだったのですが、それを見直して、三食バランスよく食べるようにしています。

松田 食事の量は増やしましたか?

宮原 元々すごく食べるので、あまり量を無理矢理増やした感覚はないですが、昼食の量は増やしました。特に試合の時はいつもすごく痩せてしまっていたので、補食を入れるようにしました。試合の時の食事の量は、増えているかもしれないです。

松田 栄養が足りていない時期があったわけですよね?

宮原 どうしてもシーズンに入って試合が重なると、試合中は自然に「あまり食べないでおこうかな」と減らし気味になっていたので、それが重なったのが原因かなと思います。「あまり(体重が)重い状態で試合に入りたくない」というのがあって、なんとなく気持ち的に「抑えようかな」みたいになっちゃいます。

松田 やっぱり選手として「体重が軽い方が跳びやすい」という感覚はあるのですか?

宮原 そうですね、前はそういう感覚もあって、やっぱり痩せていて細い方がキレイにも見えるし、軽くて跳びやすい、というイメージがありました。でも今は見直して、筋肉をつけた健康な状態で、しっかりジャンプを跳べて演技ができる方が力強さもあるし、自分の体を上手く使っている感覚が出てくるので、その方がいいのかなという考えに変わりました。

松田 それは実感としてあるんですか?

宮原 そうですね、前よりも力強く滑れている感覚はあります。ケガでほとんど滑っていない時期は4キロぐらい増やして、骨にも栄養が届くようにしました。その時には「重くてジャンプが跳べなくなっていたら……」という考えがあったのですが、ケガ明けで最初に滑り出した時に上手くスピードに乗れる感覚があったので「よかったな」と感じました。体重を増やしてしっかり筋肉をつけて、という感じで練習を始めて、だんだん練習密度が濃くなるにつれて自然に体重が減ってきたので、今の体重だと2キロぐらいは増えています。実際増えても、以前よりもいいジャンプが跳べたりしているので。あと、身長がちょっと伸びました(笑)。

松田 えー! だって、二十歳ですよね?

宮原 二十歳です(笑)。もうちょっと伸びたいです。

松田 平昌2018冬季オリンピックでの味の素社のサポートはどうでしたか?

宮原 夜ご飯は元気をもらえて、ほっこりしました。だし炊きご飯やお鍋や納豆があって、デザートも置いてあってよかったです。あとは朝がすごく早かったので、冷蔵庫にお鍋と納豆を用意して下さっていて、朝起きたらそれを温めて食べていました。

松田 期間中の食事で意識していたことは?

宮原 体重を減らさないように、なるべくしっかり三食食べるように意識していました。補食では、たくさん頂いた「パワーボール®」を活用していました。練習が微妙な時間にあってお昼がちゃんと食べられなかったりした時、合間に食べていました。

今シーズンはチャレンジするシーズン

4年後に向けては「一年一年が大事。一歩一歩頑張っていきたい」と話す 【写真:アフロスポーツ】

松田 体作りや体重管理について、今後の方針は?

宮原 昨年1シーズンでまたさらにエネルギーの消費量が上がっていて、今は食事量を昨年よりも少しだけ増やしています。食事を減らさずに食べた分は動いて、しっかり筋肉をつけていい状態で試合に入れるように、今もケガ明けからのプランを変えずにいきたいと思っています。それから、牛乳はちゃんと飲むようにしています(笑)。

松田 それは骨のケガがあったからですか?

宮原 そうですね、「カルシウムが大事」というのがスタートです。前は嫌いなのでまったく飲まなかったのですが、頑張って飲むようにしました。今も克服できたわけではないですが……(笑)。

松田 今後の目標をどのように考えていますか?

宮原 今シーズンはチャレンジするシーズンと決めているので、その考えを曲げずに、練習したことを思い切って試合で出せるように、自分に勝てるようにしていきたいです。

松田 4年後となる次の北京2022冬季オリンピックについては?

宮原 次の大会にも出たい気持ちはありますが、そのためには一年一年が大事なので、まずは今シーズン、今シーズンが終わったらまた次のシーズンというふうに、一歩一歩頑張っていきたいです。見直している自分のジャンプを、試合できっちりやるのが一番の目標です。

松田 新たなチャレンジ、やり切ってほしいですね。ありがとうございます。

(文中敬称略)

宮原知子(みやはら・さとこ)

【写真:アフロスポーツ】

1998年3月26日生まれ。京都府京都市出身。幼少期を過ごした米国でスケートを始める。初出場となった2011年の全日本フィギュアジュニア選手権では13歳8カ月で優勝すると、その年の全日本選手権で6位に。2013年にシニアデビューを果たすが、ソチ2014冬季オリンピックは惜しくも出場を逃した。2014年の全日本選手権で初優勝を飾ると、その後4連覇を達成。2017年1月に左股関節疲労骨折を負ったが、翌シーズンのグランプリシリーズで復帰すると、平昌2018冬季オリンピックの出場権を獲得し、女子シングル4位。日本のエースとして次回の北京2022冬季オリンピック出場を目指している。

松田丈志(まつだ・たけし)

【坂本清】

宮崎県延岡市出身。4歳で地元・東海(とうみ)スイミングクラブに入会し水泳を始める。北京2008オリンピックにて200mバタフライで銅メダルを獲得。この活躍が認められて宮崎県民栄誉賞と延岡市民栄誉賞を受賞。ロンドン2012オリンピックでは200mバタフライで銅メダル、400mメドレーリレーで銀メダルを獲得。リオ2016オリンピックで800メートルリレーのアンカーとして銅メダルを手にしたのち引退。現在は、コメンテーターなど幅広いジャンルで活躍。味の素(株)の栄養プログラム「勝ち飯®」アンバサダーという一面も。

【味の素(株)】

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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