新任専務が考える「4万人」へのストーリー J2・J3漫遊記 アルビレックス新潟<後編>

宇都宮徹壱

「ニイガタ現象」から15年後のビッグスワンにて

今ではスタンドの半分が埋まらなくなって久しいビッグスワン。かつては4万人を集めた時代もあった 【宇都宮徹壱】

 再び、FC町田ゼルビア戦が行われた、10月29日のデンカビッグスワンスタジアムにて。ホームのアルビレックス新潟が2−0で勝利した試合後、町田を追いかけている知人のフォトグラファーが「いやあ、素晴らしいスタジアムですね」と声をかけてきた。

「こんなにお客さんがたくさんいて、一体感のある応援ができるなんて、J2では珍しいですよ!」

 町田がビッグスワンで新潟と戦うのは、今回が初めてだから感動するのは無理もない。とはいえ「15年前は、もっとすごかったんだけどね」と教えたくもなる。

 かつて新潟には、驚異的な入場者数を誇った時代があった。具体的には、J2最後のシーズンとなった03年から、J1で2シーズン目となる05年まで。03年の平均入場者数は3万339人。J1の浦和レッズ(同2万8855人)をしのぐ数字であった。昇格1年目の04年に3万7689人、続く05年に歴代最多となる4万114人という驚異的な数字を記録。それまでサッカーのバックボーンがなかった地方都市に、4万人を超える観客が集まるようになったことで、巷では「ニイガタ現象」と呼ばれるようになった。

 もっとも、そのような状況が何年も続くものではない。06年以降、ビッグスワンの入場者数はなだらかに減少し、ついに11年に平均で3万人を割り込むに至った(2万6049人)。最近の入場者数の減少について、サポーターに聞いてみたところ、さまざまな答えが返ってきた。ブームが終わって飽きられた、無料チケットをバラまきすぎた、新規ファンを獲得するためのアピールが足りない、などなど。さまざまな原因が指摘される中、ある古参サポーターが興味深い証言をしてくれた。

「実はアルビがJ1に昇格した時を境に、県内の4種のサッカー人口が増え続けたんですよね。ウチの2人の子供もサッカーを始めましたけれど、週末には試合があるし、僕もチームの引率から戻ったら疲れてしまって(苦笑)。だからシーパス(シーズンパス)を買っても、年に5試合くらいしか見られない。そういう話はあちこちで聞きます」

 確かに、クラブにとってもサポーターにとっても、悩ましい話ではある。とはいえ、サポーターのライフスタイルが、年齢とともに変化するのは当然の話。そこを見越した上で、次世代のファンを増やしていくことをクラブ側ができていなかったのは認めるべきであろう。とりわけ、若い世代にリーチしやすいSNSの活用はクラブにとって急務であったにもかかわらず、新潟はこの分野でかなり遅れを取っていたと指摘せざるを得ない。

アルビSの社長が新潟の専務に

新潟の平均入場者数は、05年をピークに減少が続いているが、ゴール裏の熱気は今も変わらない 【宇都宮徹壱】

 あらためて、今季の新潟の平均入場者数を見てみよう。やはりJ2に降格したダメージは少なくなく、今季は第39節終了時点で1万4770人となっている。2万人を越えたのは松本山雅FCとのホーム開幕戦のみ(2万2465人)。1−5で敗れた6月20日のヴァンフォーレ甲府戦は、雨にも祟られて8614人にまで落ち込んだ。その後は1万5000人のラインを行ったり来たりの状態が続いていた。

 その意味で、町田戦がホーム7試合ぶりに1万6000人超え(1万6091人)となったことは、注目に値する。この状況について、ツイッターでポジティブな発信をしていたのが、この9月にクラブの専務取締役に就任した是永大輔である。

《J2残留が決まった今、実質的には消化試合なわけだ。それなのに16,000人。今季平均入場者数以上の観客数なわけだ。/来季への想い、アルビへのハート、ワクワク、感じるじゃないか。/それこそがおれたちのエネルギーなんです。/次節もワクワクさせてやる!》(10月30日のツイートより)。
 現在41歳の是永が、新潟と関わるきっかけとなったのは、アルビレックス新潟シンガポール(以下、アルビS)の代表就任。今から10年前の08年の話だ。新潟の海外拠点の先駆けとして、04年に創設されたアルビSは当時、「赤字を垂れ流すだけ」という存在でしかなかった。それが、是永が社長に就任してから状況が一転。当初は1億円弱の予算で運営していたが、現在は5カ国7法人にまでビジネスは広がり、来年の事業規模は約40億円になる見込みだという。新潟の17年の事業規模が、27億6200万円だから、この10年で両者の立場は一気に逆転したことになる。

 これまで是永には2回、インタビューしている。最初はシンガポールで、次に東京。新潟で話を聞くのは今回が初めてである。さっそく専務就任にあたって、どんな改革から着手したかについて尋ねてみた。

「まず、オフ・ザ・ピッチとオン・ザ・ピッチをちゃんとやりましょう、ということですね。オフ・ザ・ピッチで言うと、今までの体質は『アルビレックス様』でした。メディアに対しては『取材させてあげる』というスタンスだったし、地域とのつながりも減っていたんです。そこはまず改善しようと。そしてオン・ザ・ピッチでは、『アルビらしさ』を表現すること。ビッグスワンが一番盛り上がる瞬間って、実は相手に奪われたボールを奪い返した瞬間なんです。そういう、お客さんが期待していることを実現させることと、チームが強くなることとは、決して矛盾しないと僕は考えています」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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