ソフトB・本多が現役生活を振り返る 常に全力疾走を求めた13年間

週刊ベースボールONLINE

速く走ることへのこだわり

試合にも練習にも100パーセント。攻守走の全てで全力だった 【写真=BBM】

 少年時代に描いた野球選手への淡いあこがれはやがて現実のものとなる。2006年大学生・社会人ドラフト5巡目でソフトバンクに入団した本多は「足」を武器に、チームに欠かせない存在となっていった。

──少し昔を振り返っていただきたいと思います。まず、野球を始めたのはいつだったのでしょう。

 小学校1年生からソフトボールを始めて、中学校から硬式野球(フレッシュリーグの『大野城ガッツ』)に入って、高校は鹿児島実業に進学しました。

──その過程でプロ野球選手を意識し始めたのは。

 それが社会人に入ってからなんですよね。小さいときは「プロ野球選手になりたい」という漠然とした夢はありましたけど、まさか現実になるとは思っていなかったですし。野球を続けてきて社会人に入って……3年目ですかね。現実的に、自分の技術と体と精神的な面を考慮して「あっ、プロに行きたいな」と思いを強くしました。

──地元・福岡のホークスから指名を受けました。そのときの気持ちを教えてください。

 やはり地元の球団に入りたいという気持ちはあったので、選ばれたときは「夢のような」感じだったことは覚えていますね。「まさか夢じゃないよね?」「入ったんだよね、本当に」って。

──入団会見では足でも守備でもなく、「セールスポイントはバッティングです」と断言していました。

 言っていましたね。プロに入るまでは“走る選手”ではなかったんですよ。足は速いほうだったと思いますが、盗塁に欲もあまりなかったですし、守備に関してもまあ普通にこなしていたという感覚だった。バッティングが好きだったからバッティングって言ったと思うんですけど、でもプロに入ったら想像と違っていて。「何を売りにするか」ということを真っ先に考えました。その時に足が速いということは自分も確信していたんで、「盗塁」というものにたどり着いたんだと思いますね。

──走る上で大切にしていたことは何でしょうか。

「準備」です。ここぞという時、チームが走ってほしいという時に、試合の中でそれを考えるのではなくて、練習の時から常に「いいスタートを切りたい」「いいスライディングをしたい」と考えること。自分は常々速く走りたいという欲を持っていて「どうやったらいいスタートを切れるかな」と思いながら練習していましたね。

──速く走りたいという気持ちは引退試合でも……。

 最後まで変わらなかったですね。やはり1盗塁でも多く走りたいですし、盗塁すればお客さんが喜んでくれます。速く走ることへの思いは13年間ぶれたことはないです。

いつかホークスのために

引退試合では終始笑顔が見られた本多だったが、セレモニーでは2人の娘さんから花束を贈られ涙 【写真=BBM】

 盗塁王を2度獲得するなど13年間で通算342盗塁を積み上げた。そんな本多には走ること以外にもこだわり続けたモノがある。そして、最後に笑顔で力強く「今後について」語ってくれた。

──最も印象に残る試合、シーンを教えてください。

 初めてリーグ優勝を経験できた2010年は特別です。しかも最終戦(9月26日の楽天戦、Kスタ宮城)で優勝できたというのがうれしかったですね。個人的に言えば最終戦で優勝と同時に盗塁王を取ることができました。すごく印象深いです。当時は秋山(幸二)監督で、秋山監督は“走る野球”を目指していた。それに応えられたという自分、それと同時にタイトルを取れたときの自分……。いろんな思いがあったし、秋山監督にとっても初めての優勝だったんで「絶対優勝したい! 監督を胴上げしたい!」というチームの一体感は忘れられないですね。

──プロ13年間は本多さんにとって長かったですか。それとも短かったのでしょうか。

 長かったですね。長かったというか、今思うと短かったとは言えないです。やはり苦しい思い出しかなかったので、優勝を除いては。練習とか、きつい思い出しかないですね。自分の野球に取り組む姿勢がそうさせたのかもしれないですけど。常々緊張しながら試合に臨みましたし、緊張しなかった日はないと思います。

──今、その緊張感から解放されました。

 少しホッとしています(笑)。ホッとはしていますが、これから現役で野球ができないとなると、ちょっと寂しさもあります。少しホッとして、ちょっと寂しくて、それとともにスッキリ感がありますね。

──本多さんといえば、入団時からずっと背番号「46」を背負い続けてきました。

「46」は入団の際に球団から提示されました。「この番号で活躍してやる!」というのが真っ先に浮かびましたね。たしかにチームから1ケタ番号というありがたい話をいただいたこともありましたが、やはり「46」という番号は特別。「ホークスの『46』=本多雄一」と言ってもらえるような人間になりたいと思ったので。そういう思いから「46」は絶対変えなかったですね。

──今後、「46」は……。

 着けたいですよ(笑)。着けたいですけど、今後自分がどうなるかも分からないですし、「46」に対して誰が着けるのかなという楽しみもあります。僕は「46」というものをずっと意識してきた。野球だけじゃなくて車のナンバーだったり、私生活から気になって(笑)。「46」を自分の番号にしたいという思いから、逆に意識させられたというのはありましたね。

──今後については未定ということですが。

 野球に携わる仕事ができたら一番いいとは思います。これだけやらせてもらったので、野球から離れたくはないですね。

──将来への具体的なビジョンはありますか。

 ビジョンかあ……。やはり盗塁というものにこだわってきたので、どうしても「走塁コーチ」になりたいという夢はありますよね。今は現役が終わったばかりでちょっと感覚が分からないですけど、ホークスの若い選手を成長させたいという気持ちはあります。今季は特にファームで若い選手と過ごすことが多かった中で、もっと教えたいなとか、自分の引き出しを出して伝えられたらなと。それがすぐにはかなわなくても、いずれそういうふうな形になりたいとは思っています。

──ファンもそれを望んでいると思います。

 それが今までやってきた恩返しだと思いますし、どんな仕事であれ野球に携わりたいです。

──最後にホークスの魅力を本多さんの口からお願いします。

 僕はプロ生活の全てをホークスで過ごしたので、他のチームのことは分からないです。だけど、ホークスというチームは基本に忠実なチームだと思いますし、シートノックから元気を出して声を出してやるチーム。そういうところをこれからも変えてほしくないと思いますし、やはり1軍を見ていると、一丸となったらすごい。本当にすごいチームだなと自分でも感じながら一緒にやらせてもらったので、最後まで1軍で、一丸になることを望んでいた自分がいたんだと思いますね。

(取材・構成=菅原梨恵、写真=湯浅芳昭、BBM)

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