1998年 美談となった「Fの悲劇」<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

署名活動に期待を寄せたものの……

サポーターと選手有志による署名活動が行われたが、決定が覆ることはなかった 【(C)J.LEAGUE】

 10月29日の夜、全日空スポーツの事務所にて、登録サポーターズクラブの代表者向けの説明会が行われた。しかし「決まったことだから仕方がない」という一点張りで、およそ納得できる内容ではなかったという。これではらちが明かないということで、川村をはじめサポーター有志はJリーグの川淵チェアマンに面会を求めた。それまでは「大人しくてまとまりがない」と思われていた、フリューゲルスのサポーター。そんな彼らがクラブ消滅の危機に際し、驚くほどの熱意と行動力を示したことに、川淵は思わず涙を流したという。以下、川村の証言。

「その時に心に残ったのが『たくさんの署名が集まって民意が結集したら、もしかしたら何かが変わるかもしれない』という川淵さんの言葉でした。それを聞いて『やっぱり署名か!』って思いましたね。それからは必死で、仲間たちと署名集めに奔走(ほんそう)しました」

 かくしてサポーターと選手有志による、合併撤回を求めるフリューゲルスの署名活動が始まる。横浜駅で、商店街で、ホームゲームの会場で。さらには他クラブのサポーターの協力もあり、署名活動は全国的に広がってゆく。メディアもこの状況を積極的に取り上げたことから、「合併は撤回されるのではないか?」という楽観的な空気も一時的に醸成された。専属フォトグラファーの高橋も「もしかしたら」と期待を寄せていたという。

「私は立場上、署名活動をすることはありませんでした。ただ、みんなすごく頑張っているなと、試合会場なんかで見ていて思いましたね。たくさん署名が集まったら、あるいは覆されることもあるんじゃないかって。そういうことは密かに期待しながら見ていましたね」

 集まった署名は、川村によれば「最終的には57万人分くらい」。しかし彼らの願いはかなわず、12月2日に両クラブ合併の調印式が行われた。この間、ライターのハシモトは、サポーターに寄り添いながら一連の動きを取材していたが、どこか冷めた視線でことの成り行きを見つめていたという。

「たとえ署名が何百万集まったとしても、合併が撤回されるという発想は私にはなかったですね。やっぱりサポーターではないから、どこか引いて見ているところがあって、自分でも『冷たいヤツだな』と思うところはありました(笑)。けれど、現場で取材している記者の皆さんは、もっと冷たいと思いましたね。『今のお気持ちを一言で』とか、平気でサポーターに聞くんですよ? そんなの、一言で言えるわけがないじゃないですか!」

<後編につづく。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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