秘めたる才能を開花させた恩師の指摘 金メダルの記憶 柔道・野村忠宏(1)

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 過去、日本は多くの五輪金メダリストを輩出してきた。彼らはいかにして望むべく最高の結果を手に入れたのか。2020年の東京五輪まで2年を切った今、あらためてその記憶を呼び起こし、後世に語り継いでいく。今回は1996年のアトランタ五輪から3大会連続で柔道男子60kg級を制した野村忠宏の物語を全5回でお届けする。

アトランタ五輪から3大会連続で柔道男子60kg級を制した野村忠宏 【赤坂直人/スポーツナビ】

 2015年8月29日、野村忠宏は現役最後の試合に臨んでいた。柔道競技としては初、全競技を通じても当時アジア人としては史上初となる五輪3連覇を達成したアテネ大会からはすでに11年が過ぎている。40歳となっていた野村の体はぼろぼろだった。特に過去に手術をした両膝は、許容量を超える痛み止めを打たないと、痛みから解放されない状態だった。薬が効く時間も日増しに短くなっていく。医者からはこう言われた。
「膝を酷使してきたアスリートをいっぱい見てきたけれど、野村さんはその最終形です」
 野村自身も悩んでいた。痛みにより、充実した練習は積めていない。そんな状態で果たして本当に試合に出るべきなのか。たとえ畳の上に立てたとしても、負傷箇所をさらに悪化させ、周りが悲しむ結果を生むのではないか。最後の真剣勝負となる全日本実業柔道個人選手権大会を前に、野村は葛藤した。

 だが試合が近づくにつれて、ここで辞退したら自分らしくないと感じるようになった。これまでのキャリアを振り返ると、どんなに弱い姿をさらしても精いっぱい柔道と向き合ってきた。それが信条でもあったのだ。
「ぼろぼろになった最後の姿を見せるのも、ここまで自分を支えてくれた人々への恩返しになるんじゃないか」
 野村は出場を決断した。

現役最後の試合は一本負け。敗れた瞬間、最初に湧き出た感情は悔しさだった 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 1回戦は一本背負い、2回戦は背負い投げと自らの得意技で勝利。しかし、3回戦では前年3位の椿龍憧に腰車で一本負けを喫した。「くそ!」。畳の上に横たわりながら湧き上ってきた最初の感情は悔しさだった。不思議なもので、次に考えたのは「なぜ投げられたのか」であった。負けた時点で最後の試合になると分かっているのに。その要因をすぐに分析してしまうのは競技者としての習性だった。
「これで俺にとっての真剣勝負の柔道は終わりなんだな」
 そう思うと寂しさがこみ上げてきた。スタンドからは「お疲れ様、よく頑張った」という声援が聞こえてくる。負けて拍手をもらうのは初めての経験だった。畳を下りて、父の基次と握手をすると、いつもは勝負に厳しい父が涙を流していた。
「五輪での背負い投げも感動をもらったけれど、今日お前が見せてくれた背負い投げはそれ以上に輝いていた。ほんまによう頑張った。お疲れさん」

 面と向かって涙を流す父の姿を初めて見た。ふと気付いたら野村も号泣していた。これまでの競技人生が頭を駆けめぐる。世界のトップを目指す過程で、強い自分、弱い自分、そして年齢を重ねるにつれて衰えゆく自分を見ることができた。
「本当に柔道こそが俺の人生だったんだな」
 野村は心から感謝した。自らの限界まで柔道と向き合えたことを。競技を通じてさまざまな自分と出会えたことを。
「俺は幸せものだ」
 栄光と挫折に満ちた野村のキャリアはこの瞬間、幕を閉じた。

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