甲子園右腕に導かれた全国で旋風起こす 「来たい子を鍛える」宮崎産業経営大

松倉雄太

敗戦にエースは涙、時折笑み

初出場ながら8強進出と大健闘した宮崎産業経営大。宮崎日大時代に甲子園を経験している3年生エース・杉尾は初戦の創価大戦に好投。チームに勢いをつけた 【写真は共同】

 第67回全日本大学野球選手権で初出場ながらベスト8に進出した宮崎産業経営大(九州地区南部)。準々決勝で九州産業大(福岡六大学)に0対3で敗れ、神宮を後にした。

「投げていてすごく楽しかった。でも悔しいですね」

 準々決勝を終えたインタビュー。宮崎産業経営大のエース・杉尾剛史(3年/宮崎日大)は涙を流しながらも、時折笑みを見せて、取材に応えた。

 九州対決となった九州産業大との準々決勝。打ち勝つ野球を掲げてきた打線が、相手先発の浦本千広(3年/必由館)に4安打13三振で完封された。中1日での先発となった杉尾は、初回に自らのバント処理の悪送球で先制点を許すと、3回と5回に1点ずつを失った。相手打線を3点に抑えながら、浦本にそれ以上のピッチングをされた。「まだまだ自分の力じゃ抑えることができないと思いました」と振り返った。

 とはいえ、1回戦では創価大(東京新大学)を7回まで2安打に抑えるなど8回を4安打10奪三振。準々決勝でも、3点は失ったが、投手が最も気をつけるべき「1イニング最少失点」に抑える見事なピッチング。間違いなく今大会を代表する投手と言える内容だった。「出来すぎだと思います。全国で勝つことができた。成長できたのではないかな」と充実感でいっぱいの大会だった。

特待生制度を断った監督の決意

 今大会27校で、唯一の初出場校。そして全国大会に出場する私立大学では珍しく特待生制度のないチームだ。創部時から指揮を執る立教大OBの三輪正和監督はきっかけを語る。

「大学には特待生制度自体はあるんです。ウチはサッカー部やサーフィン部とかは強い。ただ私自身が特待生制度はいらないと言いました。というのは、最初に『ケガをした選手はどうなるんですか?』と大学側に聞いたら、『選手を終わったら特待生の資格はなくします』と言われました。野球でケガをしても学生コーチやマネージャーになった子もいますよね。それを話したら、選手を外れたら無理だろうみたいなことを言われたので、そしたら僕は(特待生は)いりません。その制度はなしでやりたいですと大学側にお答えすると、それならそれでいいよと言ってもらいました」

 1987年の創部時は三輪監督が大学内で声をかけて集まった9人。そこから地元で野球をしたいと九州南部の高校出身者を中心に集まりだし、現在では学生コーチやマネージャーを合わせて89人になった。

 指揮官は地元の高校を中心に有望選手に声をかけることはするが、特待生制度を採用しない部の方針のために、「授業料を払わなければいけない」と、条件のいい大学に進学する高校生も多かった。OBからは特待生制度を採用すべきだという声が出ることもあったそうだ。「でも来たい子を鍛えて勝つ。このやり方で(全国に)行くことに意味がある」と三輪監督は話す。

 空気が変わってきたと感じたのは、現エースの杉尾が入学してきた時。「高校の時に宮崎日大で甲子園に出場した投手。彼は数校からいい条件で勧誘がきていましたが、それを蹴ってきてくれた。実は最初ウチに来たいと言ってきたときに、最初はお断りをしたんです。本当にウチでいいんですか、と」と振り返る。でも、「彼が入ってきてくれたことで、全国に行けるんじゃないかというチームの雰囲気になった」と変化を感じるようになった。

甲子園の1回戦敗退が進路に影響

 その杉尾は関東の名門校や九州の全国常連校などから誘いがあったことを明かす。実際に最初は県外の大学に行くことも考えた。ただ、「甲子園を振り返った時に、宮崎代表として出場したのに1回戦で勝てなかった。県民の期待にもこたえられず、これではダメだなと思って、大学でもう一度、宮崎県代表として全国に出場して勝ちたかった」と地元にこだわる決断をした。

 グラブは宮崎和牛革製で、県の形のシルエットを刺繍している。宮崎県に対する愛情を全面に押し出したピッチングで、大学で成長を遂げた。

 甲子園に出場した杉尾が宮崎産業経営大に行くのではないか。その情報は県内の他の高校の選手にもすぐに伝わった。同世代の宮崎県の高校球児も刺激された。甲子園出場経験のある佐土原、宮崎商、私立では聖心ウルスラや系列校でもある鵬翔などから選手が続々と集まってきた。

ベンチとスタンドの一体感は今大会随一

ベンチとスタンドの一体感が今大会随一と言っていいほど目立った 【写真は共同】

 入学当初は練習量が少なく「がっかりした」という選手も少なくなかったが、杉尾たちの思いを主将の若松朋也(4年/指宿商)が汲み、新チームとなってからは徐々に練習スタイルが変化していった。系列校の鵬翔のグラウンドを間借りしているため、平日午後は週2日しか使えないが、授業前の朝の全体練習が始まり、夜の自主練習にも多くの選手が残るようになった。

「もう一度野球に打ち込む」とアルバイトを辞めた選手も多い。やる気が引き出されたチームは、ベンチの雰囲気の明るさにもつながり、ベンチとスタンドの一体感は今大会随一なのではと思えるほど目立った。

 2勝を挙げ、大学球界に宮崎産業経営大の名をとどろかせた今大会。教員志望で今大会中に予定されていた教育実習を秋に延期した主将の若松は春で大学野球に一区切りをつけるつもりだということを明かす。「みんな、ついてきてくれた。最高のチームでした。杉尾のおかげでチームが変わった」と涙を流しながら感謝した。

 新チームの柱となる杉尾は、「ある程度手応えがあったので、それを自信にしたい。それとこの大会で感じた課題を修正して、秋にもう一度神宮に来たい」と決意を語った。

 地元の大学から全国へ――再び宮崎県の高校球児の心に灯をつけたと言える見事な戦いぶりだった。
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著者プロフィール

 1980年12月5日生まれ。小学校時代はリトルリーグでプレーしていたが、中学時代からは野球観戦に没頭。極端な言い方をすれば、野球を観戦するためならば、どこへでも行ってしまう。2004年からスポーツライターとなり、野球雑誌『ホームラン』などに寄稿している。また、2005年からはABCテレビ『速報甲子園への道』のリサーチャーとしても活動中。

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