F1各チームのドライバーをおさらい トロロッソの新人にまつわる“運と縁”

田口浩次

ロシアの全面バックアップがあるシロトキン

ロシア出身のシロトキン 【Getty Images】

 ここまで全チームのドライバーラインアップを簡単に触れたが、気になるのは4名の新人フル参戦ドライバーだろう。なかでもトロロッソ・ホンダは2名とも新人というリスクを背負ってきた。どんな背景を持つドライバーを起用してきたのか興味が沸くところだ。

 まず、ウイリアムズから出場するシロトキンから注目してみよう。最初に彼の名前が注目されたのは13年7月。ザウバーがロシア系企業3社とスポンサー契約を発表し、その契約内に育成ドライバーとしてシロトキンの名前があったのだ。当時は、14年からロシアGP開催が決定していて、ロシア人ドライバーが必要だといわれていた。

 その後、スポンサー費用がキチンと支払われない、“レース界によくある話”が発生し、シロトキンの育成話もうやむやになった。その後、彼はフォーミュラ・ルノー、GP2へとステップアップ。15年と16年にGP2のチャンピオンシップ3位と好成績を挙げたことで、ロシア人ドライバー育成を目指すSMPレーシングに加わった。このSMPレーシングのオーナーはロシアの天然ガスパイプライン建設などインフラ建設大手で知られるSGMオーナーのボリス・ロマノビッチ・ローテンベルク氏。ローテンベルク氏はプーチン大統領の親しい友人として知られている。そしてシロトキンの父親は前述の通りロシア国立航空技術研究所所長と、まさにロシアのバックアップでF1へのステップアップを果たしたといえる。

久々のモナコ出身ドライバー

久々のモナコ出身ドライバー、ルクレール 【Getty Images】

 24年ぶりのモナコ公国出身F1ドライバー誕生で、モナコGPでは間違いなく注目を集めることになるルクレール。彼はモナコ生まれだが、決して大富豪などではない。彼の父親であるエルベ・ルクレール氏は元レーシングドライバーでF3などで走っていた。ただ、17年に54歳という若さで亡くなっており、息子のF1デビューという晴れ姿を見ることができなかった。

 カートデビューは05年。毎年のようにチャンピンを獲得し、F1へ多くのドライバーを輩出するニコラス・トッド(ジャン・トッドFIA会長の息子)と11年に契約を結んだ。カートで活躍後、14年にフォーミュラ・ルノー、15年にF3、16年はGP3、17年はF2と毎年ステップアップを果たし、GP3とF2ではそれぞれ、デビューイヤーにチャンピオンを獲得した。その才能はフェラーリにも目をつけられていて、16年にフェラーリの育成ドライバーに選ばれている。じつは誰もが注目する実力ナンバーワン若手ドライバーのF1ステップアップなのだ。

今季の同僚を引き寄せたガスリー

17年は日本のスーパーフォーミュラで活躍したガスリー 【Getty Images】

 そして2人の新人フル参戦ドライバー起用を発表したトロロッソ。まずはガスリーを紹介しよう。

 ガスリーのカートレースデビューは06年。そのきっかけは同郷のオコンだった。これは17年のマレーシアGPでオコンが明かしたエピソードで、息子にカートをさせていたオコンの父親が、友人だったガスリーの父親にカートを勧めたことが発端だったと言う。それまでサッカーをしていたガスリーは、カートの楽しさを知って、翌日からはカートに乗り換えていたと、オコンは語った。

 そのオコンの背中を追うようにして、ガスリーもレースの世界で順調にステップアップしていく。ただ、16年にGP2でチャンピオンを獲得し、17年はトロロッソでF1デビュー確実と言われていたが、チームがダニール・クビアトとの契約延長を発表したことで、行き場を失い、同じように15年GP2チャンピオン獲得後に行き場がなかったバンドーンを見習う形で、日本のスーパーフォーミュラ参戦を決めた。

 そして17年、トロロッソがクビアトのパフォーマンスに不満を持ち、マレーシアGPと翌週の日本GPでガスリーのスポット起用を決定。突然のF1デビューを果たした。レースは2レースとも完走とチームを満足させる内容で、トロロッソは日本GP以降もガスリー起用を求めた。しかし、ガスリーはスーパーフォーミュラでランキング2位、最終戦を残して0.5ポイント差と逆転が可能な立場にあった。その最終戦がF1のアメリカGPと重なっていたため、F1を優先するのではないかと言われていたが、ガスリーはスーパーフォーミュラを選択。このとき、ガスリーの代役として白羽の矢が立ったのが、なんとハートレーだったのだ。まさに不思議な巡り会わせがここにあった。結局、スーパーフォーミュラの最終戦は悪天候で中止となり、ガスリーの逆転チャンピオンとはならなかったが、結果、新たなチームメートを自らが引き寄せることになった。

チャンスを生かしたハートレー

トトロッソの新人・ハートレー 【Getty Images】

 そんなガスリーと不思議な縁があるハートレー。ニュージーランド出身で、カートを始めたのは6歳と早い。兄のネルソンがカートをしていて、その後を追うようにしてキャリアをスタートさせた。

 その才能に注目が集まったのは、フォーミュラカーのエントリークラスである国内フォーミュラフォードに13歳で勝利したこと。4戦して2勝という素晴らしいものだった。翌年国内フォーミュラトヨタを経て、05年にレッドブルのジュニアドライバープログラムのテストに合格すると、レッドブルジュニアドライバーとして、ヨーロッパでのモータースポーツ活動をスタートさせた。

 その後、フォーミュラルノー、英国F3、そしてユーロF3と順調にステップアップを果たす。さらに、08年からはレッドブルのテストドライバーになり、レギュラーシートを目指して切磋琢磨する日々だったが、同じジュニアドライバーでオーストラリア出身のリカルドが11年にレッドブルの支援でHRTからF1デビューを果たすこととなり、同じ南太平洋圏ドライバーのハートレーはジュニアドライバープログラムから外れてしまった。

 その後、メルセデスのF1テストドライバーになるなど、フォーミュラの世界でのステップアップを模索するが道が開けず、その才能を世界スポーツカー選手権に向ける。12年と13年はLMP2クラス、14年からはポルシェのワークスドライバーとしてLMP1クラスに出場。世界スポーツカー選手権は、そのカレンダーにアメリカGPが開催されるオースティンが組み込まれており、LMP1クラスで3年間オースティンを走っている経験、F1テストドライバーの経験、レッドブルジュニアドライバーだった経験、ポルシェのWEC撤退決定で足かせなくなったことなど、あらゆる要素が重なり、最後にガスリーがスーパーフォーミュラを優先するという判断が加わって、ハートレーにたった一度のF1チャンスが巡ってきたのだ。

 このチャンスにハートレーは、決勝スタート19番手から、13位までポジションを挙げてチェッカーを受けた。クレバーで速さも見せた走りに、トロロッソが決断するのに時間は掛からなかった。10月22日がアメリカGP決勝だったが、11月16日にはハートレーの18年トロロッソドライバーとしての契約が発表されたのだ。

 このように、すべてのF1ドライバーには、F1へとステップアップするときに、“運と縁”と呼ぶしかない不思議なエピソードがある。果たして、この4人の新人ドライバーはどのようなルーキーイヤーを見せるのか、その先にワールドチャンピオンへと続く片鱗を見せることがあるのか、興味は尽きない。そして日本のファンにとっては、トロロッソから出場する2人の新人に特に注目したいところだ。

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