阪神・横田慎太郎、復活途上の春 脳腫瘍という試練から1年
昨年2月に診断された脳腫瘍
2016年は金本チルドレンとして高い身体能力を買われて1軍デビューした阪神・横田。将来を期待されたが、昨年2月に脳腫瘍と診断された。今年は育成選手からの復活を目指す 【写真は共同】
それが昨秋、8カ月ぶりに会った阪神・横田慎太郎の印象である。こちらの見る目が以前と違うのかもしれないが、それを差し引いても、と思った。単に時間を経たからではないだろう。明るく無邪気に駆け回っていた若者を大人にしたのは、いったいどれほどの試練だったのか。
2013年ドラフト2位で鹿児島実から阪神に入団。ずば抜けた身体能力に加え、1年目の8月にウエスタン・リーグ11年ぶりとなる1試合3本塁打を記録するなど和製大砲と期待された。その横田が『脳腫瘍』と診断されたのは、プロ4年目の昨年2月。今思えば球団の心配りだったとわかるものの、当時は体調不良で沖縄の1軍キャンプを離脱したという以外に何の情報もなく、ただ心配が募った。
やがて、症状が落ち着く寛解(かんかい)の状態が訪れ、本人が望んだこともあって9月3日に西宮市鳴尾浜の選手寮へ帰ってきた。痩せてはいたが、それほど変わっていなくて良かったと思ったのは大きな間違い。ここまでに戻す努力はきっと半端じゃなかったのだと、改めて感じることになる。
掛布SEAも驚く回復ぶり
24日に視察した掛布雅之SEA(オーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー)の「ランチ特打ができるまで回復してうれしいよね。あそこまで……。僕自身もうれしかった。入院している横田を知っているだけにね。オーナー(坂井信也オーナー)も病院で見ていたからびっくりして、こんな元気になっているんですねって喜んでいた」という話を聞き、ハッとした。
横田の入院中から、鳴尾浜へ戻ったあとのトレーニングを担当していた土屋明洋トレーナーも「9月から今までを見ている人には、それほど変わらないと思われるかもしれないけど、入院中は……」と言葉を詰まらせる。退院後からかなり元気になったと思っていたが、おそらく体重も激減していたであろう入院時を知る人なら、なおのこと。それをキャンプ終盤になって、ようやく認識したのである。
まだ本隊には合流せず、少しずつ段階を経ていく予定。掛布SEAは「いっぱい遠回りしてもらいたい。彼の性格で抑えるのは辛いことだけど、1年ぐらいかけて復活する気持ちで(やってほしい)。2年かけても構わない。まだ若いんだからね」と激励する。矢野耀大ファーム監督からは「焦らせる気はまったくない。このキャンプで前へ進んだのは間違いないから、ゆっくり段階を踏んで一歩ずつ。長い目で見てやってください」というお願いもあった。球団は、育成契約になった横田が昨年までつけていた背番号24を空けて待つつもりだ。