パラスノボ・成田緑夢が踏み出す一歩 平昌で目指すは2種目での金メダル
「成田3きょうだい」の末っ子がなぜ?
平昌パラリンピックから正式競技になったスノーボード。成田緑夢はスノーボードクロス、バンクドスラロームの両種目で初代王者になるかもしれない 【写真は共同】
実施される種目は、連続したバンクなどで構成されたコースを複数の選手で同時に滑走してスピードを競うスノーボードクロス、旗門を設置したコースを3回滑りベストタイムを競うバンクドスラロームの2種目。障がいの程度によって、ひざ上から下肢障がいのあるSB−LL1、ひざ下のSB−LL2、上肢障がいのSB−ULの3つのクラスに分けられる。
男子LL2のこの2種目で、いずれも世界ランキング1位の座についているのが、日本代表の成田緑夢(近畿医療専門学校)だ。成田は今季ワールドカップ(W杯)最終戦の2月のカナダ大会で2冠達成と、好調を維持する。昨年3月に韓国で行われた平昌パラのプレ大会でもバンクドスラローム、スノーボードクロスともに表彰台に上がっており、本番でも金メダル獲得が有力視されている。
成田がスノーボードを始めたのは1才の頃。1998年長野五輪ではスノーボードのデモンストレーターを務めた。兄と姉はトリノ五輪(2006年)でスノーボードハーフパイプに出場しているスポーツ一家だ。「緑夢(ぐりむ)」の名前に聞き覚えがある人もいるかもしれない。そう、彼は父親の熱血指導で知られる「成田3きょうだい」の末っ子だ。
そんな彼がなぜ、パラリンピックに挑もうとしているのか――。話は少し前にさかのぼる。
左脚に障がい負うも、進むべき道が明確に
ところが、頂点に立ったその翌月、彼に想像もしない試練が襲いかかる。
両足首に2.5キロずつの重りを付け、トランポリンで宙返りの練習をしていた際、体勢を崩して落下。着地に失敗し、「左ひざが逆に曲がった」。前十字靭帯などを損傷し、動脈も切れる大けがだった。入院は半年、手術は4度行った。切断こそ免れたが、左脚の足首は曲がらず、ひざから下の感覚を失う「腓骨神経まひ」という障がいが残った。
その後、スキーやウェイクボードを再開するなかで、「ケガをしても頑張っている姿に勇気をもらった」と障がいを持った人からメッセージをもらい、自分が進むべき道が明確になった。
「障がいを持っている人、ケガをして引退を迫られている人、一般の人に夢や感動、希望、勇気を与えられるアスリートになりたい」
目標を掲げ、成田は再びアスリート人生の一歩を踏み出す。
15年のパラアスリート発掘事業に参加し、パラ陸上で走り高跳びを始めた。さらに本格的にパラスノーボードにも挑戦。いきなり国内の大会で優勝して日本障害者スキー連盟幹部の目にとまり、W杯に参戦することに。そして初出場の16年11月のオランダ大会のバンクドスラロームで4位の成績をおさめると、その勢いはさらに増し、世界選手権でも表彰台に乗った。
飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を続ける成田だが、過去に培った技術だけでここまで登りつめたわけではない。障がいと向き合い、試行錯誤して自分の滑りを模索してきたから今があるのだ。