宮原知子「一歩ずつ」進む頂点への道 メダルならずも、誓った4年後の目標
「五輪に魔物はいなかった」
「一歩ずつ」の歩みを重ねてたどり着いた夢舞台、そこに魔物はいなかった 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
「私は『知子がこれだけ鈍くさくても、五輪に出られるようになるんだ』と感心しました。だから努力や子どもたちの気持ちというのはすごく大切だなと。正直、1回転もなかなか跳べなかった子が、こんな大舞台で滑れるというのは、『心技体』の『心』がすごく大事だなと思いましたね」
昔から器用ではなく、1回教えられただけではすぐにできるようにならない。それでも人の何倍も時間をかけて練習し、それを習得していく。積み重ねた回数も多いから、一度身についた技術はそう簡単に失わないし、安定感も保つことができる。こうして「ミス・パーフェクト」宮原知子が生まれた。
身長152センチは平昌五輪の最終グループにおいて最も小柄だ。しかし、そこで見せた演技はその身長以上に伸びやかで大きなものだった。
「今回は自分に勝つというより、自分を信じる思いで臨みました」
そして「五輪に魔物はいませんでした」とも語った。
自身のベストを出し尽くした五輪
4年後へ「自分のスケートを磨きながら頑張っていきたい」 【写真は共同】
「4年後もぜひ五輪に戻ってきて、今度こそメダルが取りたいという気持ちが強くなりました。でも4年は長いので、自分の体と体調を考え、自分のスケートを磨きながら頑張っていきたいです」
これまでも一気に目標地点へはたどり着けていなかった。必ずどこかで足踏みし、それを練習することによって乗り越えてきた。きっと今回もそうなのだろう。
「みんなすごく良い演技で、勝つにはもう一歩だなと最後の3人を見ながら感じました。悔しい気持ちはありましたけど、もっと頑張るしかないなと。具体的にはジャンプの質やプログラムの勢いが足りなかった。今もまだやることがたくさんあると思っています」
宮原にとって初の五輪は、自身のベストを出し尽くして終了した。やり切ったのだから、そこに悔いはない。あとはこの経験を今後にどうつなげていくか。まだ19歳。一歩ずつ進んでいく前途は明るく開けている。
(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)