ハリルの頭には、中村憲剛の名があるはず 日本代表にこの選手を呼べ!<川崎編>

飯尾篤史

南アフリカ大会の川口能活のように

W杯南アフリカ大会の川口(中央)のように、中村はベンチでチームを助けられる存在でもある 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 ピッチの上だけでなく、ベンチでチームを助けられる存在でもある。

 今のハリルジャパンには、W杯未経験の若手が多い。果たして彼らは、いつ出番が回ってくるのか分からない状態で、事前キャンプから1カ月以上の長丁場を戦い抜けるだろうか。憲剛自身、控えメンバーとして初めて出場した10年のW杯南アフリカ大会で、当時34歳だった川口能活の存在にずいぶん助けられている。

「だから、自分が能活さんのような存在になろうと思っている」

 W杯ブラジル大会の前、憲剛はそう誓っていたが、残念ながら落選してしまった。4年前、果たせなかった役割を、ロシアでこそ果たしてくれるはずだ。

 もうひとつ大きいのは、憲剛が初めて選出されるチームであっても、溶け込むのに時間を必要としないことだ。他を寄せ付けない強烈なオーラをまとっているわけではなく、初めて会った若い選手にイジられる、良い意味での「隙」がある。7歳年下の内田篤人に「憲ちゃん」と親しまれ、8歳下の吉田麻也に「長老」と呼ばれることを許すおおらかさ。これも、この時期に初めて呼ばれるベテランとして、重要なポイントだろう。

幸せな物語には、まだ続きがある

ハリルホジッチ監督は会見で3度も口にした“川崎の37歳”を選出するのか 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 かつて「自分のキャリアにコンプレックスがある」と言っていた憲剛は昨年、念願の初タイトルを手にしたあと、こんなふうに語った。

「ひとつ上がヤットさん(遠藤保仁)や(小笠原)満男さんたち黄金世代で、ふたつ上には俊さん(中村俊輔)がいて、彼らの活躍をテレビで見ていた普通の高校生、大学生だった。日韓W杯は大学の寮で応援していたし。それが当時J2だったフロンターレに拾ってもらって、J1でプレーできるようになって、日本代表としてW杯にも出られた。

 でも、タイトルだけは縁がなくて、もう取れないんじゃないか、このまま引退するんじゃないかと思っていた。そうしたら、36歳でJリーグMVP、37歳で優勝なんて幸せ過ぎる。育ててくれたフロンターレに感謝だし、見守ってくれた人たちにも感謝。本当に幸せなサッカー人生だと思います」

2017年のJリーグアウォーズにて 【(C)J.LEAGUE】

 だが、幸せな物語には、まだ続きがある。37歳にして日本代表に復帰し、W杯に出場する。日本代表の歴史において、W杯に出場し、落選を経て再び出場した選手は誰もいない。だが、憲剛はこの4年間、それに値するだけのパフォーマンスを見せてきた。

 これまで1度も選んでいない選手のことを3度も口にするなんて、それだけ気になっている証だろう。

 ハリルさん、“川崎の37歳”の選出をためらう理由、ありますか?

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著者プロフィール

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

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