W杯で必要となる阿部勇樹の強靭な精神力 日本代表にこの選手を呼べ!<浦和編>
揺ぎない、阿部の強靭な精神力
たとえ満身創痍でも、阿部はその責任を全うする 【(C)J.LEAGUE】
07年10月24日、埼玉スタジアム2002。ACL準決勝第2戦の城南一和戦で激闘の末にPK戦へ突入する中で、延長を含めて120分間を戦い抜いた阿部は両足がつっていた。しかし彼は躊躇(ちゅうちょ)なくPKキッカーを志願してそれを決め、決勝進出の足掛かりをつかんだ。試合後、彼は埼玉スタジアムのピッチから控え室までをつなぐ「トルシエ階段」で崩れ落ち、「もう立てないよ」とつぶやいた。
ある選手が試合中に「苦しい、苦しい、もうダメだ」という呻き声を聞いた。それは中盤でコンビを組んでいた阿部が発した言葉で、その選手は阿部の体力が限界に達していることを悟った。そんな中、チームは相手の逆襲を受けて決定的なシュートを打たれるも、味方選手がブロックして難を逃れた。誰よりも早く帰陣して身体を投げ出し窮地を救ったのは、直前まで「苦しい」と吐露していた阿部だった。たとえ満身創痍(そうい)でも、その責任を全うする。阿部の強靭な意志が表れた象徴的なシーンだった。
その強さは、極限の中でこそ際立つ
阿部の強靭な意志は、極限の中でこそ際立つ 【(C)J.LEAGUE】
1月中旬から始まった沖縄でのキャンプでは全体練習終了後に浦和ユースからトップチームに昇格したばかりで所在なげな橋岡大樹と荻原拓也を誘って自主練に取り組む姿があった。その穏やかで柔和な表情からは、その強靭な意志を感じ取ることはできないが、その裏には鬼神のごとき闘志を滾(たぎ)らすもうひとつの顔がある。
阿部はアルベルト・ザッケローニ監督が率いていた12年2月に代表を辞退して以来、日の丸を付けて戦っていない。それは浦和にタイトルをもたらすためには、その身を賭さねばならないという挟持(きょうじ)が動機だった。しかし6年が経過した今でも、彼の得難き個性は光り輝いている。
その強さは、極限の中でこそ際立つ。遠きロシアの地で日本代表が絶体絶命の危機に立ったとき、阿部は全精力を傾けてチームを鼓舞するだろう。誰もがつらく苦しいと感じる中で、それでも彼は歯を食いしばり、己のためでなく、あくまでもチームのために走るだろう。ハリルホジッチ体制の日本代表を一層の高みに導く存在として、私は自信を持って阿部勇樹を推す。