Jリーグの1ステージ制復活とDAZN効果 2017シーズンを村井チェアマンが振り返る
本当に良いパートナーと出会えた
昨シーズンの大きな変化は「さまざまなネットメディアを通して触れていただく機会が増えたこと」と村井チェアマン 【宇都宮徹壱】
DAZNに関しては、たとえば「10年間で2100億円」といった金額面の話題が表に出ることが多いですよね。しかし、私たちにとって大きかったのは、年間1000試合を超える試合映像をJリーグが制作し、著作権を初めてJリーグが保有するようになった、ということです。
Jリーグが制作する試合は、映像のクオリティーがきちんと担保されていて、ブランディングもできている。DAZNでライブも見逃し視聴もJ1からJ3まできるようになっただけでなく、ハイライト映像などがクラブやリーグのオウンドメディアでも発信できるようになりました。さまざまなデバイスを通して配信する機会を創出できるようになったことが、昨シーズンの大きな変化だったと思っています。
──ただしトラブルもありましたね。ガンバ大阪とヴァンフォーレ甲府の開幕戦がまったく映らず、パフォーム・グループのジェームズ・ラシュトンCEOが謝罪会見を行いました。
あの時のことは、何と表現すればいいのか、この世のものとは思えない落胆を経験しました。ただ、その時にジェームズのほうから「メディアの前に出て、自分の言葉でお詫びをしたい」と言ってくれたんですね。それで「よし、一緒にお詫びしよう」と。
──あの謝罪会見は、パフォーム側からやろうと?
そうです。やっぱり外資系企業という見方が先行しがちですが、パフォーム・グループは日本サッカーの発展に心底情熱を持ってくれています。だから私も、日本流のお辞儀の仕方をレクチャーしました。しかもあの時、同時進行で(本社がある)ロンドンとやりとりしなが原因解明をしていたんですね。普通はすべてが明らかになるまで、謝罪会見を開くことはしないと思うんですよ。それでも彼らは「ここまでは分かっている、ここはまだ調査中です」ということを、スピーディーにすべて開示してくれました。
──そうでしたね。私も会見場にいましたが、迅速に謝罪会見を開いたことと、メディアに対して誠実に対応してくれたことについては、非常に好感が持てました。
われわれが出しているPUB REPORTも「不都合な情報もすべてさらけ出す」ということをキーワードでやってきました。その意味でも、本当に良いパートナーと出会えたと感じましたね。
世界のサッカーが身近に感じられるようになった
パフォーム・グループは、世界100カ国くらいにスポーツのダイジェスト映像を配信しているので、さまざまなデータを持っているんです。そうした中、日本人は世界的に見てもITリテラシーが高くて、高齢者でもスマートフォンを持っていて、スポーツへの関心が高いということを分かっていた。だからこそ彼らは、日本を選んだのだと思います。実際、彼らの言うとおりでしたよね。
──パフォームがパートナーになったことで、村井さんご自身も意識の変化のようなものはありましたか?
いろいろありましたね。ジェームズと私とは、お互いに東京とロンドンを行ったり来たりして、私も向こうにはもう数回行っているんです。今まで私は日本のサッカーしか知らなかったわけですが、彼らのおかげで世界中のサッカー事情における知見を得て、世界のサッカーがより身近に感じられるようになりましたね。
中継技術の革新についても多くの知見を得ることができています。先週はオーストラリアに行っていたのですが、中継車をスタジアムに横付けするのではなくて、1000キロ離れたスタジオでリモートでスイッチングしたりコメンタリーを入れたりしていたんですよ。あれは驚きでしたね。
──今までのチェアマンであれば、そういったことを気にすることってほとんどなかったでしょうね。「中継はテレビ局にお任せ!」という感じで。
そうかもしれません。中継に対しての当事者意識を高めることができています。「お、背番号が見えにくいぞ」など、映像を見て感じる感度が高まったというか(笑)。これまでテレビ局任せにしてきた中継映像が、今ではJリーグブランドの制作・著作になったことで、より視聴者の目線で見るようになりましたね。
【デロイト トーマツの見方】
チェアマンがお話しされていた中継映像の著作権については、さまざまな可能性を感じています。昨年の鹿島vs.セビージャでは「デジタル中継祭り」を実施しており、スポーツナビ、Facebook、ツイッターなど10のメディアで同時に中継映像を流して、視聴者の書き込みをカシマスタジアムのLED看板に反映させるという実験もやっていましたね。Jリーグが著作権を持ったことによって、そういった、これまでにない試みを積み上げられるようになったことは、若い層への訴求力という点で、すごく価値のあることであったと考えています。
<後編につづく>