“森保ジャパン”初の公式大会は苦い結末 東京五輪へ、挫折から始まる成長物語
「柔軟性と対応力」が不足した試合運び
ウズベキスタンとの準々決勝は、判断力や決断力の欠如が浮き彫りになった試合でもあった 【Getty Images】
2失点目は典型的だった。ゴールキックをボックス脇で左DFの古賀が受けたところから始まった。ゴールキックを無闇に蹴らずに後ろからつなぐのは一つの狙いであり、指揮官からも求められていたチャレンジだと言う。だが、相手もそれは分かっており、プレッシャーが来るので、これを古賀はGKへ戻す。しかし相手はGKにもプレッシャーを掛けられる位置にいるので、ワンタッチでボランチの井上へ当てる。当然、ここにも相手はプレッシャーに来ているので、ワンタッチでリベロの立田へパックパス。だが立田にもマークは付いていて、ボールを奪われての失点となった。
「相手はマンツーマン気味に前から来ていた」(立田)という形は、欧州でもポゼッション崩しとして流行しているやり方で、まんまとやり切られる格好となった。相手の矢印が向いている方向へひたすらボールを動かしていくような形で、直接的には個人のミスだが、これを繰り返している限り、いずれは起きたものだろう。この流れを打開するためには、一度相手のプレッシャーを開放する必要があった。
「たら・ればですけれど、(長いボールを)出したら良かったと思いますし、相手が前から来る中で一個ホールに落としたりとか、全部、足・足じゃなくて、割り切ってスペースに落としたりするべきだった」(原)
3失点目もボランチへのパスが狙われている中で、原のショートパスをカットされたところから生まれた。もちろん、闇雲に蹴ればいいという話ではないが、同様に闇雲につなげばいいということでもあるまい。
チームとしての狙いはある。しかしサッカーは「相手があってのスポーツ」(原)でもある。練習でやってきたことをそのままこなすことに執心し過ぎた。相手が前から狙ってきていることが明らかな中で「判断力というか、決断力が足りなかった」(古賀)。森保監督が就任に際して掲げた言葉は「柔軟性と対応力」だったのだが、相手に対して柔軟に対応する、その不足が見えた流れだった。
東京五輪まで2年半、“森保ジャパン”の道は始まったばかり
森保監督は「悔しい思いを絶対に忘れないように、次からの活動につなげていこう」と選手たちに声を掛けた 【Getty Images】
「現段階の力の差が今日の結果だった。そこは認めて次われわれがステップアップするために、この悔しい思いを絶対に忘れないように、次からの活動につなげていこう。結果はポジティブとは言えないけれど、痛い思いをしたこと、悔しい思いをしたことがレベルアップにつながったと、後でポジティブに振り返れるようにしよう」
“森保ジャパン”が臨んだ初めての公式大会は、大敗という苦い結末に終わった。そこで痛感したのは、紛れもない力不足。だが、ウズベキスタンという質の高さと狙いのあるサッカーをしてくるチームに敗れたからこそ、感じることのできた課題がある。長い目で見れば、こうした敗戦が後々の成長へつながることもよくある話で、東京五輪まで2年半ある段階で苦い良薬を飲ませてもらった、と前向きに捉えるべきだろう。
チームとしてはまだ始まったばかりで、個人としてもまだまだ伸びしろのある若い選手たちである。壮大な成長物語のスタートが挫折から始まったのだと思えばいい。変にスタートラインが高くなって慢心してしまうよりも、ずっと良かったのかもしれない。本気で悔しそうな、自分自身への怒りをたぎらせるような選手が何人もいるのを見て、そう思った。
次回の招集は3月のパラグアイ遠征。その次は5月にフランスでトゥーロン国際大会があり、8月にはアジア競技大会がある。ウズベキスタンに借りを返すチャンスも早々にあるのだ。チームとしても個人としても、やるべきことはたくさんある。中国での大敗劇は、それを素直に認識するための貴重な機会となった。