3人のVリーグ選手が振り返る春高バレー 忘れ得ぬ、センターコートの記憶――

田中夕子

スパイカーとして出場した最後の春高 金子聖輝の場合

星城の翌年、第67回大会からは東福岡がエースの金子聖輝(7番)らの活躍で2連覇を果たした 【写真:坂本清】

 決まった、と思ったバックアタックをことごとく拾われる。東福岡の1年生エースとして、初めての春高に臨んだ金子聖輝にとって、第66回大会の準決勝で対戦した星城の守備力は脅威だった。その苦い経験を糧とし、翌年は星城に続いてインターハイ、国体、春高を制し、3冠を達成。何とも輝かしい記録なのだが、「いかんせん前年の印象が濃すぎるから」と金子は苦笑いを浮かべる。

「何しろ6冠ですから(笑)。でも、あの時にセンターコートを経験できて、負けたおかげで次の年は余計に緊張することもなく、すごく楽な気持ちでプレーすることができました」

 苦しかったのは、3年生になりキャプテンになってからだ。インターハイはベスト8で敗れた。国体は優勝したが、春高を間近に控えてもなかなか調子が上がらず、どこかで「負けても仕方ない」と思い始めた甘さを、藤元聡一監督から叱責された。

「『お前は勝つ気がないんか』と。自分と、セッターの井口直紀に対して、お前らが声を掛け合って、引っ張っていかなければこのチームがうまく回るわけがないだろうって言われて、目が覚めたというか。自分のことばかりを考えすぎるのではなく、自分は相手のことを冷静に見てみんなに伝えて、井口はチームの1年生とか2年生のことをしっかり見る。お互いやるべきことをやろうと自然に思って実行するようになりました」

最後の春高にスパイカーとして出場した金子(1番)。現在はJTでセッターとしてプレー 【写真:坂本清】

 練習試合を重ねながら、ディフェンス力を強化。フェイントカバーやブロックフォローなど、決して派手ではないプレーを疎かにせず、最後は金子につなぐ。ようやくチームとしての形が確立され、春高が始まってからも戦うごとに強いチームへと進化し、2年連続の決勝へ進出。同じ九州の鎮西(熊本)に対しても、磨き上げたディフェンス力を随所で発揮し、セットカウント2−0、24−18でマッチポイントを迎えた。

 バックセンターにいた金子に対し、セッターの井口が「上げるぞ」とアイコンタクトで伝える。ブロックにタッチしたボールが金子の前方に落ち、金子が取ろうとすると、井口の思いをくみ取ったリベロの正近幸樹がレシーブして井口につなぐ。決して十分な体制ではなかったがバックアタックの助走に入ると、「間に合わない」と判断した井口がライトの古賀健太にトス。古賀のスパイクが決まり、25点目を挙げた東福岡が連覇を達成した。

「最後は絶対自分が決めてやると思っていたわけではないですけれど、健太決めたかあって(笑)。でも直紀が『絶対聖輝にきめさせる』と思ってくれていたのはすごく伝わったので、それで十分うれしかったです」

 3冠を制した前年は一度も泣くことなどなかったが、スパイカーとして出場した最後の春高で勝利を収めた瞬間、涙が溢れた。

 あれから2年近くの時が過ぎ、今はセッターとしてJTサンダーズでプレー。12月15日から開催された天皇杯・皇后杯全日本選手権大会にも出場した。

「今は、まだまだなので。これからはもっと長い時間、セッターとしてプレッシャーを感じながらプレーできるようになりたいです」

けがに泣きほとんどコートに立てず 近江芳樹の場合

第68回大会は準決勝で敗れた駿台学園。近江芳樹はけがでほとんどコートに立つことができなかった 【写真:坂本清】

 東福岡が下した鎮西に、準決勝で敗れたのが東京代表の駿台学園。実は連覇を達成した東福岡よりも優勝候補として前評判が高かったのは、中学時代から全国制覇のキャリアを持つ選手がそろった駿台学園だった。

 2年生が中心のチームを、近江芳樹(FC東京)は少し複雑な思いで見つめていた。

「インターハイで肩をけがして、そのまま世界ユースへ行って今度は首とひざ(をけがした)。満足なプレーどころか、スパイクを打つこともできないのに、ユースメンバーだったから注目選手と名前を挙げられるんです。春高前の合宿でもメンバーから外れていたし、春高には出られないだろうと分かっていたから、取り上げられるたびにすごくきつかったです」

 プレーするのはワンポイントブロッカーかピンチサーバーに限られ、試合中はアップゾーンからコートに立つ仲間を応援し、タイムアウトのたびに気付いたことを伝えることしかできない。大会が始まる前は「勝ってほしいと思う気持ちと、自分は出られないし勝ったら悔しいなという両方の気持ちがあった」と言うが、チームは初めて準決勝まで進んでセンターコートに立った。鎮西に対してもひるむことなく1、2セットを連取した仲間の姿を見るうちに、自然と気持ちも高ぶった。

 だが、2セットを連取してから、ほんの些細なきっかけでガラリと流れが変わる。それが春高の怖さだと近江は振り返る。

「他のチームならばこっちがリードすれば『マズイ』という空気になるのに、鎮西は動じない。独特の雰囲気に自分たちが逆にのまれ始めて、1本のミスがすごく大きく感じられてしまう。連続失点をして一気に流れが傾いた時、ヤバいと思いながら見ていました」

 2セットを先取してから、まさかの逆転負け。泣き崩れながら「すみません、ごめんなさい」と繰り返す後輩の坂下純也の肩を抱きながら「お前のせいじゃない。よくやったよ」と言うのが精いっぱいだった。

 勝って終わるどころか、ほとんどコートに立つこともできないまま最後の春高は終わった。だが、センターコートで見た景色はきっと、一生忘れることはない。

「特別ですよね。音も、光も、全然違う。自分たちは負けてしまったけれど、後輩が春高で勝って、3冠を達成してくれてすごくうれしかった。次に春高へ出る3年生たちは、中学の時も勝てなかった代だから、最後の春高でセンターコート、優勝を目指してほしい。僕もVリーグのセンターコートでもっとプレーできるような選手になりたいです」

前回大会は近江の後輩たちが3冠を達成。今年もまた、新たな記憶が刻まれる(写真は前回大会) 【写真:坂本清】

 それぞれの胸に刻まれる記憶は、いつまでも色褪せることはない。4日に開幕する春高はどんな大会となり、どんな記憶が刻まれるのか。それぞれにとって、特別な大会が、間もなく始まる――。

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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