競技転向3年後に日本歴代2位に 身長179cmの女子やり投げホープ北口榛花

高野祐太

五輪への思いが生んだ焦り、力み

高校時には活躍有望な若手選手として、日本陸連が認定する「ダイヤモンドアスリート」に選ばれた(2017年11月末に修了) 【写真:アフロスポーツ】

 それから北口の快進撃は始まった。秋には18歳未満が出場する日本ユース選手権で高校1年生学年別歴代2位タイ記録(49メートル31)を出して3位に入り、翌年には高校2年で高校総体、日本ユース選手権、国体の3冠。高校3年でも高校世代大会3冠と日本高校新の58メートル90を記録したほか、コロンビアのカリで7月に行われた世界ユース選手権(18歳未満の世界大会)では金メダルを獲得。メキメキと頭角を現していった。

 高校卒業後、北海道から東京都内にある日本大に進学したばかりの北口は、ひと冬越えただけでそのフォームを見違えるように上達させていた。16年5月、川崎市で行われた国際大会。まだ粗削りではあるものの、モタモタした助走が影を潜め、軽快なリズムでスムーズにスピードに乗った。あれよあれよという間に記録を伸ばし、到達したのは61メートル38。世界のトップクラスも参戦する中、日本ジュニア記録と当時の日本歴代2位記録で3位に食い込んだ。

 一般に、地方出身、特に厳寒の雪国である北海道出身の陸上選手がオフシーズンの過ごし方がまるで異なる関東の有力大に進学すると、環境の変化から当初は成績が伸び悩むことが少なくない。だが、北口はそんなことはものともせず、平気で世界と渡り合う戦いぶりを見せた。

 驚くべきは、この記録が夏に行われるリオデジャネイロ五輪(以下、リオ五輪)の参加標準記録62メートル00まで、わずか62センチに迫ったことだった。

「出たい、出たい」

 結果を出した18歳の北口の心の中に、リオ五輪への思いが沸々と湧き上がっていった。しかしそれが災いした。「標準記録を出すために、練習でも良い記録で投げなきゃ」。焦りから無意識のうちに力んで投げるようになり、リオを懸けた6月の日本選手権直前に右肘靭帯損傷のケガを負ってしまった。

 五輪の夢は次の東京大会に持ち越しとなり、この挫折は次のシーズンにも影を落とした。ケガ自体は治っているのに本来の投げを見失ってしまい、17年6月の日本選手権では記録が伸びずに3位。8月の世界選手権への出場権を逃し、記者たちの前ですすり泣いた。

見失った“投げ” 突破口は動作分析

ケガによるスランプ、その突破口を探した経験を前向きにとらえる北口。飛躍のときは、これからだ 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 低迷は2季に渡った。北口はどうなってしまうのか。だが、この危機を脱する鮮やさも北口らしかった。8月下旬のユニバーシアード決勝で56メートル30の10位と惨敗して迎えた9月8日の日本インカレ。北口は突如と言うべきか、3度目の60メートルオーバーとなる60メートル49の大会新を記録して優勝を果たしたのだった(その後、10月8日には国体を61メートル07で優勝)。

 快挙のきっかけは、7月に日本大の専門教官に画像による動作分析を受けたことだった。まずは61メートル38の投てきに近付けることを考えた。

「助走の最後で(やりを持たない)左腕を上げると良いことに気付きました。今までと違って、自分の動きを頭で理解できるようになりました。こんなに苦しんだのは初めてだったので、今後もっと上を目指していくために、良い経験を積めたんじゃないかなと思う」

 この1年の苦節を振り返った北口は、続いてこうも語った。

「来季からアジア大会、世界選手権、東京五輪と続いていくので、世界で一番になるために練習していきたい。日本記録とかじゃなくて(それを超える)65メートルも視野に、自分が目指しているものに近づいていきたいと思います」

 北口は18年3月16日にやっと20歳の誕生日を迎える。北国から飛び出した大型ヒロインがどれほどのところまで行くのか、興味は尽きない。

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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