マラソン挑戦で悪循環を脱した村澤明伸 結果を逆算せず、日々の積み重ねで頂点に
リオを逃して気持ちに区切り
リオデジャネイロ五輪出場を逃した後、トラックでの戦いに区切り。マラソン練習へと切り替えた 【スポーツナビ】
「自分の体が彼らとしっかり戦えるまでの状態にはなっていないというのも分かっていたので、ただ焦って空回りしていただけというか……。今やるべきことというのは確実にあるけど、それを見ないで先ばかり考えてしまっていた感じもずっとあったと思います」
それでも「そんな状態でも注目してもらえるというのはうれしかったし、走るからには負けたくないとか、下手な走りをしたくないという気持ちは強かったですね。ですがその分、失敗をしないようにと考えてしまって、思い切ったレースができなくなっていた面もありました。『このペースなら行けるかな』というので入るのではなく、その時は入ったままのペースで行ってしまって、冒険をしないというか。自信を持った練習ができていないというのも心の中にあったと思います。だからレースで最低限の結果しか出せなくても『今の状態ならこんなものだよね』という言い訳のようなものもすごく感じていて。今思えばそうやって自分がどんどんマイナスの方へ行ってしまう悪循環に陥っていたと思います」
そんな気持ちに区切りをつけられたのは、16年リオデジャネイロ五輪代表選考会だった日本選手権の1万メートルで8位に終わってからだ。
4年間目標にしていた五輪に手が届かなかったことで、次を考える余裕もできた。
「それまでは過去の自分にちょっと固執し過ぎていたという部分はありました。今はもうあの頃の感覚は持っていないし、体も違っているのに、いい時のレベルに戻らなければ次へ行けない、27分50秒という1万メートルのベストを更新してからマラソンを始めたいという考えを数年前までは持っていました。でも日本選手権でリオがダメになって、『このままじゃ競技者として終わりになるな』と思い、このままじゃ終わりたくないと思ったのが大きいですね。そこで本当に気持ちに区切りがついて、マラソンをやるいいチャンスだなと思ったんです」
「1年を通して練習する大切さも改めて分かった」
マラソン練習に切り替えてからは故障もなく、しっかり練習を積み重ねてくることができた 【写真は共同】
「初マラソンのびわ湖でボコボコにやられたというのも、改めてマラソンや練習について考えるいいキッカケになったと思います。本当に積み重ねが大切だと。特にこの1年は土台作りの年だったけど、それで北海道では3分10秒ぐらいのペースなら走り切れるというのが分かり、1年を通して練習をすることの大切さも改めて分かったし……。42.195キロという距離に対しての箱ができたというところで、『じゃあ次は何分ペースだったら行けるのかな』というところを突き詰めていけばまた次のステップに上がることができるかなと。その取り組みを10月から始めていますが、もう年間を通してマラソン練習という感じで捕らえています」
今では1万メートルのベストも、マラソン練習をやる中で更新していかなければいけないと考えるようになった。今はそれくらいでないとマラソンでも勝負できないと。だが、だからといって「早く結果を出さなければいけない」とも思ってはいない。
「やっと1年間続けて練習ができたところなので、今ここで19年秋のMGCレースから逆算してそれを目指してやっていこうとしたら、またここ数年繰り返していたことをやってしまうと思うので。海外レースに挑戦するということも頭にはあるけど、年明けに国内レースを走る予定なので、まずはそれを考えるだけですね。やはり段階を一歩ずつ踏んでいくのが大事だと思うので、次のマラソンは目標とするタイムと順位で走りたいし、それができた時に、さらに目指すべき上のレベルが見えてくると思う。そういう積み重ねが1年、2年、3年と続けば、より大きなものになっていくのかなと思っています」
積み重ねていく結果が頂点へのステップに
「19年までには自分が2時間7分台でコンスタントに走れるランナーになっていないといけないというようなイメージも特にないです。まだちゃんと走り切ったのは1本しかないので、その先を語るのはまだ早いと思います。もちろん、そこへ向けて準備はしていきますが、次のレースをしっかり走らないとその次はないとも感じているので、先のことは考えても仕方ないですから。自分の持ち味というのもいろいろな条件のレースを経験してみなければ分からないと思うし。ずっと自分の足元を見ながら積み重ねていって、フッと顔を上げた時に『アッ、ここまで来れたんだな』という形でいいですね」
マラソンを始めたことで目標がハッキリし、今やるべきことも明確になってきたと明るい表情を見せる村澤。彼は今、ここしばらくは心の中に持てていなかった「本気で頂点を目指す」というアスリートとしての強い意識を、久しぶりに持てているのだ。