久保建英が持つ最も強烈な「資質」 適応力と挑戦心を武器にプロの舞台へ

川端暁彦

FC東京が用意した「新たな壁」

FC東京U−23チームでJリーグデビューを果たすなど、久保は上のカテゴリーで着実にステップを踏んでいった 【Getty Images】

 FC東京もまた、中学3年生になった彼にそのまま中学年代のエースとしての役割を託すのではなく、FC東京のU−18チームへ飛び級で昇進させて、新しい壁を突き付けた。学年が3個上の相手と戦いながらスキルの幅を広げ、フィジカル面での成長も感じさせるようになっていった。16年にはJ3リーグを戦うFC東京U−23チームでJリーグデビューも果たすなど、着実にステップを踏んでいった。

 森山監督率いるチームでの久保は「ピッチ上でも言いたいことを言い合って、プライベートでも言いたいことを言い合えて、本当にみんな仲が良くなった。チームメートでありながら、友達みたいな良い関係を築けました」と、すっかり溶け込み、完全な中心選手になっていた。だからこそ、新しい刺激が必要だと考える人もいた。U−20日本代表の内山篤監督である。

「周りが無意識に久保を頼るようになっていて、久保の選択肢がドリブルだけになるような試合が増えていた。これは良くない傾向だなと思いました」(内山監督)

 一度、森山監督のチームから離して、新しい壁にぶつけさせる。もちろん戦力になるだけの成長をしてきたという判断を下しながら、内山監督は4個上のチームへと久保を招く。これだけの“超飛び級”は前例がなく、周囲の反応を含めて、心理的な壁も低くなかったが、ここでも久保は「とにかく努力するしかないと思っている」と挑戦心と適応力を見せ、最終的にはチームの戦力となっていた。もちろん、U−20W杯でトップレベルに届いたかと言えば、そうではない。それでも、可能性は十分に感じさせた。

U−17W杯で胸に刻んだ森山監督の言葉

 そうした流れを受けて迎えたのが、17年10月に開幕したU−17W杯である。久保がU−20でプレーすることで、あらためて他の選手にとっても大きな刺激となり、チーム力が上がったという手ごたえはあった。久保本人もマイホームに戻ってきたようなスムーズさでチームにフィットしており、「やれるなという手ごたえはありましたし、最初からやれると思っていた」と振り返っていた。

 結果としてはラウンド16で優勝を果たしたイングランドに、PK戦の末に敗れるという結末だったが、「自分たちがやってきたことが間違いじゃないと証明できてよかった。森山監督のサッカーで世界で十分にやれると分かった上での敗戦だったので、余計に悔しかった」と言う。同時に「監督が一番悔しいと思う。何とか監督を勝たせてあげたかった」とポツリと漏らした。

 自身のプレーについては「ある程度自分が思っていたくらいにやれた」としつつも、「逆に自分の理想がちょっと高かったので、それよりは下だった」と、イングランド相手にゴールを割れなかった事実については静かに受け止めている。そして胸に刻んでいるのは、2年半にわたって指導を受けてきた指揮官が最後のミーティングで残してくれた言葉だ。

「ミーティングで『同年代相手のちっぽけな競争をするんじゃなくて、どんどん現状に甘んじず、上を上をと目指していけ』と言われました。自分も、もっと上を目指せたらいい。口だけの選手にはなりたくないので、しっかり結果を残していきたい」(久保)

「サッカー選手として生きていきたい」

U−17W杯でも経験を積んだ久保。プロとして迎えることになった新しいハードルに対しても、ひたすらまっすぐに、真摯に挑戦していくに違いない 【佐藤博之】

 U−17代表では「本当に濃い時間を過ごせた。もう(この代表チームについては)しゃべり出すとキリがないんですけれど」と言いつつ、そのラストステージが終わった今、視線の先に据えるのは次なるハードルだ。1つは東京五輪へ向けた戦いであり、もう1つはプロサッカー選手として、FC東京でレギュラーを奪い取るという戦いである。

「年齢的にもレベル的にも、プロとしてはチャレンジャーだと思っています。尻込みせずにどんどん挑戦していって収穫を得られれば、次のステップも見えてくる。誰が見ても『この選手はすごいな』と一目で分かるくらいの選手になりたい」(久保)

 本人が今回のプロ契約にあたって掲げた言葉は、やっぱり「努力」だった。「天才」という言葉で語られてしまうことも多い選手であり、確かに豊かな才能を持った選手であることは間違いないのだが、1つ1つハードルを越えながら成長してきた努力家であることも確かだ。

「自分はサッカー選手として生きていきたい」と言い切った久保建英は、少なくとも周りにチヤホヤされて調子に乗って消えていくタイプの選手ではあるまい。努力して積み上げていく大切さを知る心と、ハードルを与えられれば挑戦せずにはいられない負けん気の強さがある。プロとして迎えることになった新しいハードルに対しても、ひたすらまっすぐに、真摯に挑戦していくに違いない。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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