ロッテ鈴木昭汰 子供時代に何度も観戦した東京ドームのマウンドでプレミアム12 連覇の力となる

千葉ロッテマリーンズ
チーム・協会

千葉ロッテマリーンズ鈴木昭汰投手 【千葉ロッテマリーンズ提供】

 少年時代に憧れたマウンドに鈴木昭汰投手はいた。6月6日、東京ドーム。交流戦でのジャイアンツ相手に1回を無失点。この試合で22試合に登板をして防御率0.00とした。子供の時、父親の運転する車で茨城から何度も東京ドームに観戦に訪れた。09年、ジャイアンツ対ファイターズの日本シリーズを見に行ったこともある。当時、小学生だった。九回、亀井善行(現一軍外野手部走塁コーチ)が同点ソロを放ち、その後、阿部慎之助(現監督)がサヨナラ本塁打を放った。童心ながら2つの劇的アーチは今でも鮮烈に脳裏に残る。

 人生とは不思議なものだ。その2人が監督とコーチとして敵チームのベンチにいた。そして対戦相手の投手としてあの時の小学生はマウンドに上がった。家族と一緒に野球観戦を楽しんだ思い出の未来は、まさかまさかの同じフィールドへと繋がっていた。

 「子供の時、入場ゲートをくぐって、グラウンドが見える瞬間のドキドキが大好きでした。走っていきたくなるような感覚。今はそのマウンドに自分が立っていて多くの人がスタンドから見てくれている。東京ドームは自分にとって大事な原点を思い出させてくれる場所です」と鈴木昭はしみじみと振り返った。

 先頭打者を見逃し三振。続く打者はこの試合でホームランを打つなど当たっている大城卓三捕手だったが、空振り三振。3アウト目は三ゴロに抑えた。

 もう一つ、東京ドームに思い出がある。中学三年生の時。全日本中学野球選手権大会ジャイアンツカップに出場。決勝までいけば東京ドームで試合が出来たが無念の準決勝敗退。決勝はスタンドから観戦することになった。試合後、グラウンドで閉会式が行われ、そこで初めてグラウンドに降りた。当時、ジャイアンツ監督だった原辰徳氏と集合写真を撮った際、隣にいたこともあり、撮影後、握手を求められ「何年か後にプロ野球の世界で会おう」と声を掛けられた。忘れられない言葉だ。

 鈴木昭は20年ドラフト1位でマリーンズに入団。試合の重要な場面を任せられる貴重なサウスポーとしてマリーンズの勝利を支えている。東京ドームでは昨年のライオンズ戦、今年はオープン戦で投げたことはあってもジャイアンツとの公式戦では初めて。その舞台で150キロを超えるスピードボールとスライダーを中心とした変化球で4万人大観衆に存在感を見せつけた。あっと言わせた。

 「特別な思い出がある場所で結果を出せてよかったです。小さい頃にここで野球を見てプロに憧れた。そして今、こうやって投げることが出来た。子供の時に感じたワクワク感といか初心を忘れずにこれからも頑張って投げたいと思います」とその時、鈴木昭は喜んだ。そして今、今度は侍ジャパンと言うプロ野球の代表チームの一員として東京ドームのマウンドに立っている。

 少年時代、目を輝かせて見つめた華やかな光と声援を浴びるマウンドにいることの幸せをこれからも忘れることはない。大事な原点だ。今は背番号「47」がスタンドが見つめるファンにかけがえのない想い出を提供していく番。プレミアム12連覇のために全力で腕を振る。

文 千葉ロッテマリーンズ広報室 梶原紀章

東京ドームで鈴木昭汰投手 【千葉ロッテマリーンズ提供】

  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

球団に関するニュース、球団広報によるコラム、オフィシャルライターによるチームのこぼれ話や球団情報をお届けします。お楽しみに!!

新着記事

編集部ピックアップ

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着コラム

コラム一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント