マクラーレン・ホンダの栄光は遥か遠く 今宮純のF1ザ・ショウダウン
堂々と「F1第4期」の宣言を
06年にはバトンがハンガリーGPで優勝を飾っている 【XPB Images】
新人エンジニアの養成と育成を基に、モータースポーツとは無縁に等しいリーダーが赴任、第3期までと異なる体制が構築された。世界と戦う場に立ち向かう若い彼らは現場で不眠不休に働き、立ったままで眠るような日々を過ごしていた。
この3年をまとめるとこうなっている。
・15年(シーズン1):19戦、ベスト:5位1回、10チーム中ランキング9位(27点)
・16年(シーズン2):21戦、ベスト:5位2回、11チーム中ランキング6位(76点)
・17年(シーズン3):14戦時点、ベスト:6位1回、10チーム中ランキング9位(17点)
では、第3期のBAR時代の最初の3年はどうだったか。
・00年(シーズン1):17戦、ベスト:4位4回、11チーム中ランキング5位(20点)
・01年(シーズン2):17戦、ベスト:3位2回、11チーム中ランキング6位(17点)
・02年(シーズン3):17戦、ベスト:4位1回、11チーム中ランキング8位(7点)
この3年を経て04年“シーズン5”にはベスト2位が4回、ランク2位(119点)にまで上昇。そして06年“シーズン7”にはハンガリーGPで純ホンダ・チームとしては3勝目を達成。そこには第2期を経験した少数の古参エンジニアらがいた。08年、ラストとなった“シーズン9”は3位1回、ランク9位(14点)、この結果を最後に第3期ホンダの活動に終止符は打たれた。
15年に始まり今年で消えるマクラーレン・ホンダ。「第4期」としては第3期に結果もなにもかも及ばず、今になってみれば、ホンダの要請のままそう言わない(書かない)ことで良かったのかもしれない。個人的には18年シーズンから堂々とホンダは「F1第4期」を宣言し、トロ・ロッソ(レッドブル)との“シーズン1”に邁進していただきたい。別れの後に、これからの生き方がスタートするのは人生もレースも同じなのだから。